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おかえり、カンカク

書きたい、書きたくてここに来た。

何を書きたいのか

そんなことはわからないまま、脳と手に導かれるまま

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フィールドに出たゆうしゃはあまりの眩しさに目を細めた

ただ今まで過ごしていた世界から離れて、少しばかり静かに囲まれた真っ暗で単色の世界にこもっていただけと思っていたけれど

いざ踏み入れてみるとそこは音も色彩も光も人も空気も何もかもが鮮やかで

ああ、こんなにも眩しい世界に私はかつて溶け込むように生きていたのか、いささか信じがたいほど鮮明で明瞭でくっきりとした形で発光していた

明確な形をもって輝きを放ってるモノたちは、少しばかり敏感な感覚に触れるには充分すぎていて、太陽や町の光は目を焼き、すれ違う人の視線や話し声を拾い集め、排気ガスやたばこの香りに夕餉の香りに季節を告げる香りに情景と人の営みを感じて。
その中に色彩のない消えそうで大きいような自分の足音や呼吸音が響き渡って、まるで混ざり合わない水と油のようにいつまでも浮いている気がしてそれでもなじもうと必死に筆でかき混ぜてみたりして。

単色だと思っていたかつての安息の地も、鮮やかに動き出した世界を感じ取った今となっては、そこに色彩があったことに気が付かせられたのか、はたまたもともとは鮮やかだったものを感じなくなっていたのか。とにかくそこにあった空気もかすかな光にも、静かに私を支え続けたそこにあるモノたちにも、延命に流し込んでいた音楽にも動画にも、窓から聞こえてくる音たちにも、確かな色彩があったことを感じてみたりもして。

「なにをしてもなにを見ても感情がわかない」
それが当たり前になっていた頃だった。

聞きたくて聞いているわけでも、見たくて見ているわけでもない。
感じたくて、わざと敏感にセンサーを働かせているわけでもなかった。
だから、ふと良い感情も、悪い感情も生んだ。

それでよかったんだ。

感情が、帰ってきた。

色もわからないほどに単色に染まっていたのは、取り巻くモノたちではなく、私の感情だったんだ。

悪い感情など持ってはいけないと押し殺していた自分も忘れて、それさえわいてくるのがどこか新鮮でうれしくて、もうよくわからない感情の中で、ただ久しぶりに流れた涙を拭いていた。

生きている実感、生き返った実感

まだまだこの世界で感じてみたいことがたくさんある。
良いも悪いも、酸いも甘いも、いろんな”色”も。
私にとっては少しばかり鮮やかで、賑やかで、香しい世界。
せっかくなら働きすぎがちな五感たちをたくさん使ってみたい。
つまりは、生きてみたい。

そう思えて初めて、受け入れられた

自分という人間に悪い感情がわくこと。
それ自体は悪ではないこと。
それも人間の面白さで、この人生でしか、私でしか味わえない感情であるということ。
その感情を受け入れることで、また一つ、知れることがあるということ。

そして思った、自分にしか見えていない世界を残してみる旅をしてみよう。

この、なんなら以前より鮮やかにモノを感じるようになった私の感覚の世界を表現してみたい。秀でた才能は無くても、感じるままにただ舞うように歌うように生きてみたい。独りよがりな生き甲斐でも、やっと見つけた新しい生き甲斐。少なくとも今は、それが歩を進めさせてくれる。

一歩一歩、ゆっくり。
疲れたら、休むことを忘れずに、
なんて言い聞かせてみて、また歩いて。

ーーー

書き始めたら感覚について書いていました。
モノの感じ方や世界、見え方や聞こえ方、色やエトセトラエトセトラ…
こういうのって皆様違うと思うのです。同じ人でも、状況や感情などによって変わってきたり、なんだか不思議なものだなぁと。(相変わらずの語彙力…)
だからこそ、自分にしか見えてない世界を、自分という媒体を通して表現してみたいよねという考えを少し持てるようになった頃のお話でした。
…になりました。
本日も生き抜いた皆様に乾杯!!

ーーー

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