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インターネットがなくなってた10日間

ネット依存を自覚…

「インターネットがなくなって」というのは大袈裟だけれど、昨年末にネット環境の設備不良があって、10日ほどネット環境がスマホのみだったんです。

この数年ほぼ毎日、目が覚めたらアレクサに「今何時?」と聞いていて、決めた時間に電気がつくように設定していたり、時間帯で照明の明るさが変わるようにしていたのに、そういうものが全部できなくなった。

スマホのテザリングがあるだけいい、とはいえ接続するたびにWi-Fiオンにしないといけなくて、使えないWiFiに繋ごうとしてしまう。
前みたいにYoutubeかけ流しながら別の端末で何かするとか、iPadで楽譜写しながらLINEするとかができなくて、ほとんどスマホ1本のネット環境で過ごすことになってました。

ちょっとした恐怖心

「アレクサ」が時間を教えてくれることや、WiFiが電気をつけてくれることがそんなにもう「普通」だったのか…、と思って、突然自分と空間の妙な距離感を覚えましたよね。

ネットが一本だけという今のめんどくささ、不便な感覚。
同時にどれほど無制限の複数ネット環境に頼っていたのかと、恵まれ度合いを自覚しました。
しかし「ネットが複数なければ不便」という感覚は、何か既にすごい不自由さがあることを物語ってるなと…、ちょっと恐怖心じみた感覚が芽生えてもきました。

情報の過食

メリットもありました。
必要だとも思ってないのになんとなくYoutubeを流すのをやめたので、そこそこちゃんと自覚的に選んだ映画をじっくり見るということができたのとそ仕事が進む進む。
無意識に見てしまってたYoutubeのおすすめから来る余計なインプットがない、というだけでなかなか精神的に充実感も感じるようになっていました

意外に思ったことは「こんなに自分て耳寂しい人だったっけ」というところ。
No music,no lifeとか言ったことないし、自覚的には思ったこともないんですけど。
けれど、いつの間にかYoutubeから流れてくる誰かの声だったり、何かの音だったりに頼っていたのか、無音…エアコンの音とかになってしまいますけどね…がけっこう「退屈」と感じるという。

だけど、なぜそんなに意識して取りに行ってない音を必要としていたのか、実はわかってもいない、という。
必要かどうかさえわかっていないのに取り入れていたってことで、情報の過食、みたいな感じだったのかなぁ。

ネット氾濫で失ったもの

無意識かけ流しYouTubeがなくなり、本来望んでいないインプットが減ったからか、時間が増えたかのようにすら感じていました。
ただのお出かけでも、前より数段楽しかった。
ネットを無制限に使えた時は、それはそれで妙な充実感があったけれど、
ただ靴を履いて外にでかけるというだけで、前よりずっと楽しいと。
それがなんだか新鮮で。

嘘っぽい充実感の影に

YouTubeをかけ流していた時は、次々と情報が入ってきていた。妙な充実感というのはそれなんです。ただ、例えると、自分から欲しいものを食べているわけではない感じ。
「おすすめです」と言われたものをひたすら次々食べているみたいな…、しかもそれもそこそこそ満足できる内容だったりする。
それって「試食会」「試飲会」みたいな感じなんですよね。
ずっとそんなことをしていたら「本命がわからない」みたいになってた?…、そんなことを思いました。


私がチラシを手がけているオペラ公演の紹介です。
合唱もしているのでよかったら観にいらしてくださいね!


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