モノの価格
こんにちは!
子どもに伝えたいお金の話を伝えてる「ゆうとす」です。
本日は、モノの価格について、価値の側面からというテーマでお伝えしたいと思います。
1 価格
コウスケくんはふと思った「価格が高いモノっていい商品なのかな?」
近所のおじさん「実はそうとは限らないんだよ。モノの価格を2つの価値に分解してみてみよう!」
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(1)交換価値
商品とは、いくらかの金額で「売る」ものです。
「アイスクリームを150円で売ろう!」くらいのノリです。
あなたが、高額でもiPadを手に入れたいと思えば、アップルはもっとiPadを生産します。
ハンバーグレストランも同じで、値段が高くても多くのヒトが地元の名産物を注文したがったら、ハンバーグレストランの店主はその料理をたくさんつくろうとします。
市場価格とは「交換価値」を反映したものです。
需要と供給が価格を決めるというやつですね!
そして、
「商品化」されたモノはすべて値段がついている思われがちですが、「値段のつかないモノ」や「売り物ではないモノ」があったります。
(2)経験価値
「値段のつかないモノ」や、「売り物ではないモノ」は価値がないと思われたり、逆に「値段のつくモノ」はヒトの欲しがるものだとされやすかったり思われたりするらしいのですが・・・
おカネを払うといわれた途端、人助けの喜びや冒険のワクワク感がなくなってしまうことがあります。
ちょっとばかりお金をもらっても、逆にモチベーションが失われたりすることがあります。
たとえば、
献血を「有償で集めている国」と「無償で集めている国」では、「有償で集めている国」の方が血液が集まりにくかったりするデータがあるそうです。
献血では、献血者は人助けと思って献血をすることが多いため、それに値段がつくと、人助けでなく商売になってしまうからです。
実は、
献血を無償でするほうが、ヒトは誰かの命を助けたいという善意というモチベーションを生み、ヒトは献血するというロジックです。
そうした価値を「経験価値」と呼び、
たとえば、
山や川、海に出かけたり、かけがえのない出会いなどの経験はほかの何ものにも代えられません。
そこにモノの価格を見出すという考え方です。
2 すべてが売り物になる時代
さて、歴史と紐づけていくと、
ここ200年から300年のあいだに、ご先祖さまたちは歴史をつくってきましたと言われていて、
農家のご先祖さまは、自分たちで飼料や燃料をはじめ、種といった原材料をつくっていました。
イマの農家さんは、原材料を買い入れ、多国籍企業は最先端技術をつかって牛さんを太らせる飼料を開発します。
そうしたプロセスのなかで、
「エコノミー」という言葉は「意味の変化」を起こしました。
エコノミーの語源は「オイコス(家)」と「ノモス(秩序・管理)」が合わさった「オイコノミア」というギリシャ語です。家族や家畜、食糧や衣服など、生活に関わるものを秩序立てて運営するという意味があります。
「オイコス」である家の外側でつくられるように変化していきました。
時代の変化のなかで、
イマの経済は、「アゴラミー」のほうが適切だと言われていて、
「アゴラミー」という言葉は「市場の法則」という意味です。
「アゴラ」とは、「ヒトの集まるところ」を意味し、古代ギリシアでは市場や集会所などがある公共広場を指し、アテネ市民にとって信仰の中心がアクロポリスであるのに対して、その麓(ふもと)にある「アゴラ」は生活の中心であって、政治や経済、文化の拠点として機能していました。
どういうことかというと、
アゴラという「ヒトの集まるところ」に「交換価値」と「経験価値」が混じり、モノの価格が決まってくるということです。
2020年は、感染症によりオンライン化が急速に進んだ時代でした。
オンライン化でも「アゴラ」の概念と「交換価値」と「経験価値」がモノの価格を決める原則は生きていて、この「原則をあなたのモノやサービスに当てはめるとどうなりますか?」と問いを残し、おわります。
本日は、モノの価格について、価値の側面から、お伝えしました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
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