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次元世界と思考の深さと文章として残したいものの話(第13回)

どうも、ゆうせいです。


もう20年以上前の話ですが、大学在学時に科学?か何かの講義で、レポートを書く課題を渡されて、私は「四次元の世界」という本を読んで、その内容をまとめたレポートを書いたんですね。

「四次元」って言葉を聞くと、すぐに思いつくのが『ドラえもん』ですが、四次元ポケットの内部とかタイムマシンが移動する空間が四次元として描写されています。

この四次元ってどういう空間なの?という疑問や興味が湧いて、私はその本を読んだのですが、四次元を知る前段階として、「1次元」「2次元」「3次元」ってどんな空間なの?という説明があるんですね。


「1次元」は1本の線だけの空間、「2次元」は1本の線に直角に引かれた線が加わり、面という概念が生まれた空間、「3次元」は面で引かれた2本の線と直角に引かれた上下の線が加わり、高さという概念が付与された空間ですね。

それぞれの次元世界の図


私たちが住む世界は3次元で、面積のある地面に高さを利用した住居を作り、その中で生活しています。

この次元の考えとして重要なのは、それぞれの次元世界は干渉し合えないってことです。干渉し合えてしまうと大変なことになるんですね。

仮に各次元に生物がいるとしましょう。1次元の生物は2次元の生物とは干渉できません。なぜなら、1次元の生物は直線上の世界しか知らず、面積という概念がないからです。

もし、1次元の生物と2次元の生物が干渉できたら、1次元の直線上に突然2次元の生物が現れたりします。

同様に、2次元の面積の上空に3次元の生物が突然現れたり、3次元の空間内に突然一つ上の次元、4次元の生物が現れたりします。

現実世界を生きていて、そういう事象に遭遇することがないので、各次元世界は干渉できないのです。


この次元世界の関係性を思考の深さや広さに置き換えて考えると、すんごい面白いなあ、と思ったので、次元世界と思考の話を繋げていきたいと思います。

それでは、本編をどうぞ。

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今回もジラ谷(@jiratani_world)さんのアウトプットnoteを元に、ちょい足し考察を書いていきます。テーマは「文章として残す内容とそうでないもの」

思考力や言語化力を身につけて伸ばすためには、ある事象や物事について、似た要素を持った具体例を出して読み手に分かりやすく伝える、という積み重ねが大事だということは、このちょい足し考察でも書いてきたことです。

そうした過程の中で、思い浮かんだアイディアをこうした文章に書いて、残すべきかそうでないか、を吟味した方がいいということをジラ谷さんの元記事では書かれています。


書籍や他人のブログを読んだ時に、自分の脳内で理解を進めて、いざ言語化してみたはいいけども、「これはその人が言っていることと大して変わらないな」とか、「ちょっと語尾を変えただけで視点や切り口は変化してないやん」ということが、2~3日に一回は起きてしまうのだ。

ジラ谷さんのnote「アイディアの「親」になることと、書く書かないの線引きについてのお話(第63話)」より


脳内で理解して言語化したものが、他者の言葉の横流しだったり、視点や切り口が変わっていなければ、自分にとって良質なアウトプットとはいえない。

つまり、脳に思考という負荷をかけていないので言語化したつもりで実は何もしていないのだ。歌うことは大好きだが、上手くなりたいが為に息や喉の使い方を変えたりせず、ただ楽しく歌って上手くなったつもりでいるようなもの。

なので、事象や物事をわかりやすく具体例を用いて語る時に、すぐに思い浮かんだものは一旦脳内に留めるかメモなどをしてストックし、脳に負荷をかけて「もっと違う例で繋げられないか」「もっと違う視点で語れないか」をさらに探してみるといいと思う。

思いついたことを何でもいいからアウトプットするのは簡単だし、楽だ。(中略)でも、そこに甘んじてしまうと、脳への負荷が少なくなってどんどん惰性になる

上に同じ


少し考えてすぐに思いつくものは、誰でも思いつくと考えておいた方がいい。思考を深めるということは、自分の脳内に眠っている記憶や経験を呼び起こし、他者にはない自分だけのアイディアを生むことだ。

また、深い思考は誰でも思いつくものを別の角度、視点から語ることができる可能性を秘めている。

思考の深さと、言語化や具体例のユーモアさ(独自性)は下図のような関係性にあるのではないか、と図解を作ってまとめてみた。

思考の深さと取り上げる事例の関係図


思考が浅い(視野が狭い)と、思いつく具体例もより大衆の話題となるものに寄っていき、結果誰でも思いつくものを迅速に出してしまう。

これは、冒頭に書いた次元世界における「1次元」的な思考だ。

直線上の端で「りんご」を思い浮かべたら、逆の端には「赤い」とだけしか思い浮かべられない、ストレートな連想しかできない、そんな感覚ではないだろうか。

誰でも思いつく1次元的思考


「りんご」と聞いて、他に思い浮かべられるものがあるなら、さらに高次元へと思考の幅が広がっていく。


例えば、2次元的な思考が身につき、「りんご」は「赤い」だけでなく「酸っぱい」「実は白い」などの違う例を思いつき、これを1次元世界に持ち込んだとする。

すると、直線からはみ出した、本来存在しない面積部分に別の例が突然現れ、1次元の生物はありもしないところから例が現れたのでひどく驚くに違いない。

直線の横に面状に現れる2次元的な思考


浅い部分で思考を終わらせると1次元的ですぐに思いつくもの、誰でも思いつくものにしか辿り着かず、たくさんの人が「ああ、それね」「聞いたことあるわ」と微塵も驚きのない、つまらない具体例や言語化しかできないのだ。

思考を広く深くしていくことで、多次元思考が可能になり、他の誰にも思いつかないことやすぐに思いつくものでも別角度、別視点から語れるようになり、次元の低い種族からすれば思いもよらないところから、考えもしなかった発想が突然目に飛び込んでくるので、余裕でパラダイムシフトを起こせるようになる。


多次元的な思考により生まれた独自のアイディアが、文章として残しておきたいものとなるので、それらをたくさん残せるように思考を広く深く伸ばしていき、自分の内に眠っている記憶や経験から、独自のアイディアを言語化していきたい。


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思考を深めて言語化や具体例を自在に生み出せることと、低次元と高次元の世界での差がうまく繋がるんじゃないかと思い書いてみたけど、他にはない切り口で書けたんじゃないかな。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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