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反出生主義者引退宣言

本日、2024年5月20日をもちまして、約8年もの間支持し続けていた反出生主義をやめることにしました。

今日はその反出生主義にハマってしまった経緯、そしてやめると決意した理由について語っていきます。

反出生主義を支持し始めたきっかけ

私は社会人になった2016年にメンタルを大幅に崩します。

現在も通院中ですが、その頃はとにかく何もかもがつらく、24時間365日といっても過言ではないとにかく目が覚めている間中希死念慮に苛まれ始めました。

いつ出会ったのか正確な日は記憶にありませんが、おそらくシオランという哲学者のことを何かのきっかけで知ったことが最初だと思います。

そこから私は

生まれたくなかった
生まれなければこんなつらい思いをしなくてもよかった
出生は悪だ

と考えるようになりました。

それらの考えをネットに垂れ流し、なんとか自我を保つ日々が続きました。

反出生主義をやめると決意した理由

長らく私の中で軸となっていた考えである反出生主義をなぜやめようと思ったのか?

きっかけはとてもとても些細なものでした。

「あしたのジョー」という作品の映画を観たからです

あしたのジョーは全然知らない人でもボクシングをテーマにした作品だということがわかると思います。

真っ白になって灰になるシーンだけは特に有名なのでそこだけは知っている人が多いと思います。

私が反出生主義をやめようと思い至ったのは、ボクシングとは全然関係のない場面でした。

感銘を受けたのは、

主人公の矢吹丈がどうしようもない人間であり、逮捕されて鑑別所や少年院送りになっても全く気にも留めず、問題行為を起こしながらも自分なりに生きているシーン

でした。

つまり何が言いたいかというと、結局のところ、

自分なりに生きていく決意をした人間は強い

ということなんです。

日本にいる反出生主義のほとんどは私のようなエセ反出生主義者です。

シオランやベネターを聞きかじりさも自分は正しい、世間は間違っている、生まれたくなかった、だから私を生んだ親が憎くて憎くて仕方がない、生まれたら不幸になるから生むべきではない…。

実際こうなっていますし、その悪循環が止むことは決してありません。

むしろ強化され、そこから抜け出すのが難しくなってきます。

私はあしたのジョーを観て感じたのは、

犯罪者でも精神障害者でも何でもいい
自分なりに生きていくことができれば

ということでした。

そりゃ、精神疾患に罹ったり、犯罪に手を染めない方が良いに越したことはありません。

でも、世の中そうなってはいません。

今日も世界のどこかで犯罪が行われ、私のような精神疾患になる人が必ずいます。

生まれてしまったら不幸になる

一見正しいような、いや理論的には間違ってはいないでしょう。

しかし、完全完璧に幸福な人間というものもこの世には存在しません。

そしてこれが重要なのですが、

生まれてしまった者は生まれる前には戻れない

ということです。

生まれたことを嘆き苦しみ、反出生主義を貫いたところで、私たちはその理想である生まれる前に戻れるわけではないのです。

もう一つ大事な点があるのですが、

親が生んだのは子どもという肉体の部分であり魂ではない

という点です。

これが反出生主義者が大きく誤解している点だと思います。

昔読んだバシャールの本にも書いてありました。

私たちはエクスタシーの中から生まれた

スピリチュアル的であると思いますが、エクスタシーから生まれた以上、理論というのは意味を成しません。

反出生主義というものは理性の塊です。

子どもを作った人たちに対して話が通じないというのをネットでよく見かけましたが、これが原因です。

現代は情報が溢れ、何が正しいか間違っているかを常に判断を迫られる世界です。

効率的な生き方が称賛され、人生のネタバレが加速した時代。

今後、ますます反出生主義という考え方が世界を席巻すると私は予想しています。

すでに水面下では相当広まっていると感じます。

私は約8年もの間、反出生主義にハマっていました。

改めて読み返してみると、この記事の覆う暗さに驚愕します。

反出生主義は抜け出せます。

もう頭でっかちに理論で生きていくことはやめましょう。

とにかく明るく生きていくことを心掛ければ、自ずと道は開けてくると確信しています。

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