8年間自分を苦しめていたものから解放されたお話し。
フリーランスの猿渡です!
「自分のやりたいことを実現し幸せに生きていく」をテーマにまずは自らが好きな様に生きて経験を皆さんに伝えています!
今回はブラジルの様子ではないのですがブラジルに来ることによって僕が8年間苦しみ続けた感情から解放されて自分の素直な気持ちを認めてあげられるようになったことについて書いていきます!
僕の病んでたことなどについて書くので「なんか見てるこっちもテンション下がるわ!」という方はスキップされてください笑
※ただしハッピーエンドです!!!
<僕はサッカーが大嫌いだった>
僕は8年間サッカーが大嫌いだった。
厳密には心の奥では大好きだけれどもう見たくなかった。関わりたくないとも思っていた。だからこれまで避けてきた。
サッカーやフットサルの観戦は数える程。プレーをすることに至ってはおそらく8年間で一桁に収まるのではないだろうか。とにかく離れたかった。
これは僕が大好きなサッカーから逃げ苦しみ前向きになれたお話。
<僕のコンプレックス>
僕は小さい頃、父の仕事の都合もあり2回ほど転校していた。いく土地で人気のスポーツや遊びが違った。そんな環境もあって僕は水泳・野球・陸上・サッカーなど様々なスポーツに触れて育った。
その中で一番好きだったのがサッカーだった。サッカーを1本に頑張り始めたのは小学5年生の時。地元の小さなサッカークラブに入った。
小学5年生でサッカーを始めるというのは少々遅い。周囲は幼稚園や小学校低学年からプレーしている子もいた。僕はダントツ下手だった。最初はとにかく必死だった。
中学生になった僕は地元の中学のサッカー部に入った。この時徐々にサッカーというものがわかりはじめ、自分の感覚ではあるがの周りの選手と遜色ないくらいまで実力をつけていたとおもう。
「もっと上の景色を見てみたい」そういう感情が徐々に沸き立ってきた。
僕はその後、県内有数のサッカー強豪校に進学した。家から遠かったこともあり、この時初めて家を出る経験をした。15歳だった。
強豪校でのサッカーは今までとは全く違った。
全てのウェアが一式揃えられ、専用練習場、専用バス、クラブハウスもあったし環境が整っていた。
練習も今まででは考えられないほど強度が高いものばかりだった。激しい走り込みや2部・3部練習、遠征や合宿などもたくさん行った。
僕は井の中の蛙だった。ここには自分より何倍も上手い選手が溢れかえっていた。1年たっても2年経っても試合に出る機会をなかなか掴めなかった。
終わってみれば僕の高校3年間で公式戦の出場数は10試合以内だったと思う。
(それに本当に重要な試合は関わることはなかった。)
それでもサッカーが好きだったし、僕は何者かになりたかった。一方でサッカーで勝負をするのは難しそうにも感じていた。そんな時Fリーグを見つけた。
Fリーグとはフットサル(5×5でおこなう室内サッカー)の日本トップリーグである。
いきなりトップリーグのチームに入れるわけではない。当時のコーチを経由してチームを紹介してもらい練習にも行った。縁あってサテライトチーム(2軍)からであれば所属できることになった。
似て非なるとはこのことでフットサル特有の動きを理解するのにこれまた時間がかかった。また、ここはトップリーグを経験した選手やトップリーグの卵たちが集う場所。僕は再び上には上がいると感じる経験をした。
そんな中でもチャンスをもらった。
僕の利き足が左だったことが大きな要因だと思う。
フットサルの競技特性上スペースが限られていることもあり基本的には利き足を中心にボールをコントロールする。そのため左利きが重宝されるポジションというのが存在する。
チャンスをいただいてからは毎日毎日朝の9時から練習生としてトップチームの選手と13時ごろまで練習をして日中に少し体を休めて夜21時から23時までメインで籍を置いているサテライトの練習をしていた。多分人生で一番練習した。
練習生という立ち位置かつ若手だったということもあり萎縮してしまい中々うまくいかないこともあったが半年から1年近く日本トップのフットサルを体感した。
※余談だがこの時過度のプレッシャーからか後頭部に大きな円形脱毛ができた。当時は髪が長かったのでバレなかったが笑
練習生として活動する毎日だったが結果として僕はその後トップチームと契約を結ぶことはなかった。
試合中に接触して足首を怪我したのだ。
最初は腫れも少なかったので念の為町の小さな病院に行って診察した。予想通り異常なしということで捻挫くらいの感覚でいた。
ところが1ヶ月たち2ヶ月たち全く状況が良くならない。フットサルはおろか日常生活にも支障をきたしていた。毎日足が痛かった。朝起きた時、階段を登る時、運動などもってのほかだった。いつも足をバンテージで固定していたし痛み止めやコラーゲンの注射を打っていた。
流石にこれはおかしいと思って大きな病院でMRIとCTを取った。
結果としては骨と骨をつなぐ軟骨が離断しておりかなり水も溜まっていた。
(痛みの原因はクッションなしに直接骨同士がぶつかっていたから)
怪我をしてから何ヶ月も経った時だった。
「治療方法は手術しかない」と言われた。
剥がれた軟骨の代わりに腰骨をとりだし、足首に移植した。
僕は怪我をしてからというもの満足にフットサルをやった記憶がない。その後、僕は競技に復帰することなく怪我を主な理由としてフットサルをサッカーを辞めた。
本当は復帰できた。割と大きな怪我ではあるが復帰しているスポーツ選手はたくさんいる。でも僕は辞めた。なぜか?
僕は逃げた。自分がそこまで良い選手ではないことはわかっていた。たくさんの自分より上手い選手に囲まれて自信がなかった。トップリーグで活躍しても安定した生活が送れるか分からなかった。
嘘をついていることは自分が一番わかる。怪我をしたから辞めたのではない。僕は逃げた。
その日から僕はサッカーやフットサルが嫌いになった。一緒に頑張っていた選手たちがどんどん活躍していく姿が僕には眩しすぎた。自分が惨めで情けなくて悔しくてみれなかった。
就職をして仕事を始めて「フットサルやってたらしいじゃん!一緒にやろう!」という誘いは基本的にはすべて断ってきた。そんなことをやっていたら8年が経っていた。
<ブラジルが教えてくれたこと>
ブラジルに来たのは色々な理由があるがサッカーが好きだった頃の自分にもう一度出会いたかった。素直に好きと言いたかった。
ブラジルで初めて行ったコリンチャンスのスタジアム。スタジアムいっぱいの観客が選手と同じユニフォームを着て、周りなど気にせずに声枯れるまで応援。スタジアムは揺れている。
細かいルールなんてない。会場で爆竹や発煙筒、相手チームに対しては中指を立てて汚い言葉で罵声を浴びせる。年齢性別全ての垣根を取っ払ってとにかくサッカーを楽しんでいる景色がここにはあった。
僕は心が震えて全身鳥肌が立った。本当は好きだったことなのに無理矢理感情を押し殺していた自分に素直になりたい。そして許したいと思った。目頭が熱くなった。
そこから僕は夢中でサッカーを見続けた。
4ヶ月でスタジアムには11回足を運び、スタジアムに行かない日はテレビでひたすらサッカーを見た。失った8年間を取り戻すように。
僕は今サッカーが大好きだ。
<最後に>
誰しも自分の本当の気持ちに嘘をついている瞬間はあると思います。僕は今回ブラジルに来て向き合うことで完全にではないですが気持ちが楽になりました!
この記事が誰かの支えや道標になることを祈って終わりです!
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