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のんびり自然に流れるように

お茶を仕事にしていると、よく「何代目ですか」と聞かれることがあります。その時は、躊躇なく「初代です。家康の立場です。」と答えています。大阪で育って、東京の大学に行って、それからは日本と海外を行ったり来たり、すごく厳しい組織にいたり、カメラマンをしていたり。興味の赴くままの僕の人生は遠回りの連続で、これからもそうなり続けると覚悟しています。

ゴールがあれば最短距離があり、そこに至るレールはひけますが、本当のゴールが明示されない人生においては、「あなたが生きる目的はこれですよ」と誰かに言ってもらえない限り、全ての目標はかりそめであり、次々に出会う偶然から自分なりの目標を設定する生き方をし続けないといけないと決意して以来、自分の心に思い浮かんだことが次の目標となるような生き方をしています。

僕のささやかな、「名もなき旅」の人生の前半の目標は、「全力で頑張る」だったとしたら、20代以降の中盤は、「脱力して逃げる」ということにでもなると思います。「逃げる」という一見ネガティブなことの現代的なポジティブな意味合いが新しいものの見方と考え方を与えてくれました。自分の個人の力の限界ということと、「頑張る」ということに付随する影の部分がくっきりとしてきて以来、個人の努力や頑張りに依存しない、「のんびり自然に流れるように」ということがテーマになってきました。

自然と豊かに交わる生き方をしたいなと思って、思考と「策誤」を続けてますが、自分の中にこうしたいという目標があって、それが強ければ強いほど、いろんなことを受け入れづらいのではないかと感じています。自分の中に自然の動きや人との出会いをもっとおおらかに受け入れて、それを和合していくことをエネルギーとするには、何が大切な軸になるのでしょうか。

何回迷ったっていいさ 血の跡を辿り戻ればいいさ
目標なんか無くていいさ 気付けば後から付いてくる
可能性という名の道が 幾つも伸びてるせいで
散々迷いながら どこへでも行けるんだ

「ダイヤモンド」/藤原基央

自分という「自然」との付き合い方というのが、このささやかなブログのもう一つのテーマになってきました。僕らの中にある、ささやかな「能力」という名の「可能性」がまた、僕らを新しい可能性に導いていってくれるのかもしれません。与えられた目標とは、僕らの中に内蔵された可能性だとしたら、それを追い続けることが、一つの人生の考え方だと夢想してみたり、考えてみたりしています。複数の旋律が重なって離れて、また進んでいく。単純化された、目標とそれを達成するためのストラテジーにがんじがらめになってしまいそうな僕らの心にシンフォニーを。

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