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他人を責めない 自分を責めない

先日、たまたまあった知り合いに自分の母親のことや自分の置かれている境地について話をする機会がありました。

僕の話を聞いてその人が言ったことは、
「お母さんしんどいやろな」
「責めたらあかんよ。お母さんは自分のことをもっと自分で責めてるはずやで」
「やりたいようにやらせてあげて、生きがいだと思うこと」

良かれと思って、提案してきたこと。変えようと頑張って変えれなかったこと。それがもしかして母を苦しめてきたかもしれないこと。

普段から、「他人を責めない 自分を責めない」と思い続けてきたのに、自分の一番身近な人にそれをうまく伝えられていなかったことに、気づきました。

あらゆることの原因は自分。

自分の内側から聞こえてくる声に従って生きようと決めて、それを意識し出してから、いろんなシンクロニシティや偶然を体験してきました。自分の意志と世界の出来事がまるで呼応するかのような偶然を何度も体験する中で、世界がいかに完璧で、僕らが体験することはそれを経験する必要があるからだということが理解できてきました。20代の時によく読んだ、パウロ・コエーリョの影響も色濃くあると思いますが。「今起こることに誰にも責任はない。それが起こるのは自分を成長させるための経験として必要だから。」という考えに共鳴して、何が起きても他人を責めずに、自分も責めないように心がけてきました。

光と影の芸術作品。

この考えを身につけることでいろんなことがスムーズに進むようになってきました。他人を責めることが少なくなり、人間関係も円滑に進むようになり、僕自身も悩んだり、落ち込んだりすることがなくなりました。

起こったことは仕方がない、自分が悪いと思ったことも、誰かにとっては「いいこと」かもしれません。物事にはすべからく、光と影があって、僕にとっての光も誰かにとっての影。その繰り返しで、ぐるぐると回っていくだけの芸術作品だと今では思っています。

光と影と虎と馬

20代以降、できるだけものごとをサラサラと考えるようになって、トラウマになるような出来事との遭遇はしなくなりました。それ以前の体験で、どうしても心に引っかかるトラウマになるような出来事がいくつかあって、僕にとって母親との関係がきっとそう大きな一つトラウマの一つでした。家事も育児もほったらかしにして遅くに帰ってくる母に対する葛藤。どうして子供たちよりももっと大事なものがあってそれを優先するのか。僕が悩み苦しんんだ問題は、僕の心が生み出した影であったかもしれないと今ではようやく納得できるようになってきました。

完璧な親なんていない。みんな一生懸命にやって、それでも不十分なんだと親の立場になって理解できてきました。僕らの懸命な子育ても、子供たちにとってはきっと不満足なのかもしれません。僕らが動く時、何かをするとき、そこにはきっと光と影が生まれ、ゆらゆらと僕らの心の陰影を作っていきます。

いつでも微笑みを

出来事の大きすぎるの影に心が覆われてしまう日も。そのことをきっかけに心に小さな灯火をつける必要を感じることができました。誰かを責め続け、自分の人生の失敗を他人のせいにするだけなのは悲しい。その小さい灯火で誰かの心にささやかな光を射してあげることができたら。世界を覆う影や悲しみの中から、また新しい光が生まれてくるように感じます。

狭い路地に 黒いスーツの人達
急な不幸がその家にあったという
命は果てるもの 分かってはいるけど

何もかも思い通りになったとしても
すぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷付いても

いつでも微笑みを
そんな歌が昔あったような
今こそ その歌を
僕達は歌うべきじゃないかなぁ

いつでも微笑みを/桜井和寿


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