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全体主義から「現実とは?」を考える─1984 ジョージ・オーウェル

SF小説というジャンルにはあまり馴染みがありませんでした。
どちらかといえば、人間の人生を描き、心理描写が全体を占めるようなもののほうを好んで読んできたような気がします。

それがなぜなのかと考えてみました。
先入観ではありますが、SFは世界観の設定が力強いので、
ひとたびその世界観を理解してしまえば、
全体がなんとなく読めてしまうような気がしていたのです。
それに対して、心理描写は一つ一つの描かれ方を味わうものなので、
登場人物にハマることさえできれば、じっくりそれに浸れるという安心感を持っていました。

それでも今回この小説を読んでみようと思ったのは、
最近、「この世界って何だったんだっけ」というレベルで、
自分の中で、人間の社会の在り方がぐらついているような気がしているからです。
僕が地道に働き、牛乳の値段が昨年の倍近いことに頭を悩ませる一方で、
一部屋一泊200万円のホテルの予約が取れないという話や、
高利回りの国債とかそんな投資商品の存在を知って、これに数億円突っ込める人って一秒も働かなくても今の自分の数倍の利益を出せることに気づいたりして。
これらは別に今に始まったことではなく、自分が現実を知ったに過ぎないことなのだろうとは思います。
だけど、多分、広い文学の世界には、僕と同じような疎外感を持って何かしら表現をしている人もいるはずだと思い、
そんなメッセージを含みそうな本が近くにあったら臆せず読むようにしていたというわけです。

この本には広義での全体主義批判の空気が漂っています。
特定のドグマに支配され、それに沿わない人間はもとより、
歴史も文化も、日常の会話さえも排除される世界。
与えられる情報は独裁党の都合によってコントロールされ、
自分たちが豊かなのか貧しいのかすら判断ができない世界。
そこに生きる主人公が、その世界に違和感を持ち、どうにか対抗できないものかと、もがく物語です。

正直、少し読み進めてみた段階では、僕がSFを読まず嫌いしてきた理由は、間違ってなかったなと思ってしまいました。
上記の世界観を強化していくストーリーがずっと展開されていき、
はじめに与えられた情報が肉付けされていくばかりです。

ところが、途中で、独裁党の情報統制の方法が具体的に提示されたとき、
自分の生きる現実とこの1984の世界との境界が曖昧になったのを感じました。
党は、歴史を書き換える作業をしていて、主人公はそれを仕切る庁に務める公務員であることが描かれます。
彼のデスクには、書き換えるべき情報がどんどん届きます。過去の新聞記事や、著作などの記録で、党の方針や予測に合わない情報が記載されているものです。
それを、指示された方針に則ってうまい具合に書き換えて、送り返す。
その書き換えが承認されればその文面は物理的にすべて書き換えられ、
その書き換えを行った記憶が薄れ、ついには忘却されたとき、歴史は本当の意味で書き換えられる。という寸法です。

僕にはこれを、「全体主義の行き着く先」と簡単には捉えられませんでした。
自分が当たり前に生きている世界のバックグラウンドは、殆どが自分の目で確かめたものではないのです。
「どうやら確からしい」「この情報源なら信頼できそう」というレベルでしか、現実は作られていない。
だから、その現実が何か大きな力によって形成されていても不思議ではない。
少なくとも、人類が皆で共有する無意識には、かなり影響を受けているはず。
そう思うと、1984の世界と、今の世界と、実は大きく違うところはないのではないかと思えてくるのです。

こうなると、1984を読んでいる自分は、1984の中にいる自分のように思えてきてしまいます。
もう読むのはやめられず、どんどん具体化していくこの世界観に飲み込まれていくしかありません。
文字情報ではありますが、ヴァーチャル・リアリティのような体験ができる本だと思います。
毎晩ベッドの中でkindleを使って読んで、気づくと眠っていて、かなりの頻度でリアルな悪夢を見ることになりました。
誰にとっても良い体験だとはなかなか言い難いけれども、
確かに面白い体験ではあり、是非みなさんに読んで頂きたいと思います。

「現実」というものが、よくよく考えてみると、思ったよりもかなり曖昧なものであると気づくことで、
新しいアイデアを探したり、解決できないと思っていた悩みが実は簡単に解決出来たり、そういう効果はきっとあると思うのです。
また、当たり前と思っていることを別の角度から眺めることで、
多くの人にとって救いになるような選択を見つけることもできるかもしれません。

全体主義の恐ろしさを描くホラーとしても一流のこの本は、
人間の存在、人間の作る現実を捉え直す哲学書としても読めるすごい作品です。

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1984
著 ジョージ・オーウェル
訳 田内 志文
発売日:2021年03月24日
出版:角川文庫

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