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「かけがえのないもの」を考える ─ 『断片的なものの社会学』 岸政彦 著

物心がついて、自分の足で行ける範囲を見て回るようになった頃。
あらゆるものが刺激的で素晴らしく、ときには恐ろしく思えました。
汲めども尽きぬ好奇心。心をいっぱいにして、
今では気にもとめないようなものを見ては目を輝かせていました。
そして、この道の先には何があるんだろう。
空の向こうには何があるんだろう。と、
ぽつねんと、夢想していました。

さらに成長すると、もう少し現実を捉えられるようになりました。
自分の過ごす町の全てを歩いて回るのも大変なのに、
この、どうやらかなり広い世界を全てを見ることは、不可能であるという事実に思い至ります。

そして、その事実にかなり絶望しました。

絶対にいつか死ぬのに、その瞬間にやり残したことのほうが圧倒的に多いことが確定したのです。
僕にとっての死ぬことへの恐怖は、この事実が根源です。

気づくとそれは仕方のないことと割り切るようになりました。
もしくは、無意識に、考えないようにする癖がついたのかもしれません。
ある意味で、癒えることの無いトラウマを抱えている状態。

この本は、絶対に認識し尽くすことの出来ない無限の事実や現象を「かけがえのないもの」として優しく包んで、そのトラウマを癒やしてくれました。

この本を読もうと思ったのは、まず表紙に惹かれたからです。
シャッターの閉まった商店らしき建物。傍らには車の無い駐車場。
建物の横が露わになっていて、そこはあまり綺麗とは言えない仕上がり。
表紙として、明らかに映えるものではない。
だけど、共感しました。良いよね、こういうの。
そして、そこに「断片的なもの」という文字が飛び込み、
わかるような気がする、本の中身が気になる・・・と思ったのです。

私自身も、こういう写真を撮ることがあります。

散歩しながら撮った写真

なんでこういう写真を撮っていたのかというと、
「なんかいいから」でした。
ほとんど無意識です。
でも、この本を読んでからは、もう少し意識的になりました。
「”かけがえのないもの”にふと波長が合った瞬間を、記録したいから」です。

著者は、幼い頃ふと気になった石を拾い上げては、
いま、この瞬間、この石を持って眺めている
という途方の無さ、不思議さを感じていたそうです。

その感覚に、とても近い。

また別の部分では、夜一人で出歩いているときに外部階段を登っていく人を見て、この人のこの瞬間を認識したのは自分だけなのだと意識した瞬間が描かれます。これもまた似た感覚です。

そして、そのような感覚的な話でアウトラインを共有しながら、「かけがえのなさ」について論述していくために、想像上の夫婦のお話が挿入されるのですが、そこでこの不思議な感覚が回収されていきます。
ここが、この本が持つ癒やしの力の極大点でした。
ちょっとでもここまでの話に、共感を覚える人は、是非読んで体験してもらいたいと思いますので、詳細はここでは控えます。

そうして「かけがえのなさ」の定義を受けて更に読み進めれば、
より具体的な社会学の世界に引き込まれていくことになります。
広く目を向ければ戦争の被害者、
より近くを見れば被差別者や貧困に喘ぐ人々との何気ないやりとりが断片的に並んでいます。
自分と見えない壁で遮られながらも確かに存在するものへの視点や、それと向き合う難しさ。
「かけがえのないもの」という意識が、
その難しさを少し解きほぐすのかもしれません。

優しい語り口で、
優しいものの見方に導いてくれる、
ときどき立ち返りたい本です。

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