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おじいさんの夜

最近よく行く喫茶店がある。

毎週水曜は予定があって、それが終わると僕は阿佐ヶ谷にある喫茶店でイチゴジュースを飲んだり、ナポリタンを食べたり、ビールやジントニックを頂いたりする。

日も暮れた時間、カウンターの右端っこが空いていればそれはもう素敵な1日としてカウントする。

僕はその日、生まれて初めて買った吉本ばななさんの本を読んでいた。奈良美智さんと共作?したひな菊の人生という作品だ。

前回の記事でもカフェで本を読んでいたが僕は元来小説を読まない人だ。ちゃんと読んだものはハリーポッターとダンブラウンのラングドン教授シリーズ(ダヴィンチコード等)くらいだ。

そうだ。大学の教授に勧められてミヒャエルエンデのモモを読んだこともあったが何ヶ月も費やした。読まないというより読めないのだろう。社会科学関連の書籍は大好きである。

そんなこんなで瓶ビールをお供にひな菊の人生を読んでいた。途中、主人公のお母さんが交通事故に巻き込まれるところでシンプルに泣いた。ああ人生って何だろう。何となく子供が欲しい。何となく、そんな理由で子供はつくるべきではない。


しばらくして誰も座っていないカウンターの、一つ席を空けて左におじいさんが座った。

「コーヒーフロート頂戴」

「コーヒー、甘いのと苦いのどっちにします?」いくつものドリンクや食事のオーダーを一人で調理する若くて塩顔でツヤツヤな黒髪の店員さんが尋ねた。

「甘いの」

甘いコーヒーのフロートを頼んだスーツの男性は失礼ながらおじさんとは言えない年齢である。60は確実に過ぎたであろうおじいさん、である仕事終わりなのだろうか。彼はヤングジャンプを読み出した。コーヒーフロートは深くて大きなコップにアイスが2玉も浮いている豪華なやつだ。おじいさんはアイスを一つだけつつきながらコーヒーと一緒に上手に食べている。常連なのかな。何にせよ青年漫画の雑誌と甘くて大きなコーヒーフロートに夢中のおじいさんに僕は出会ったことがない。お母さんの涙を初めて目にした時のような不思議な感情を持った。

あまりジロジロ見るのも憚られるので僕は本を読み進めることにした。薄い文庫本だったので喫茶店で読み終えることができた。子供が生まれたら好きなだけ留年して遊び呆けて欲しいなあ、最後のビールを飲み込みながら僕はそう願った。


おじいさんはアイスが溶けて泥水みたいなコーヒーフロートを半分残して帰っていた。