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神田神保町界隈のレトロ建築(近代レトロ建築-10)

神田神保町といえば古本屋の町。
千代田区のホームページなどを紐解くと、神保町は江戸城の北側に位置し武家屋敷街だったが、町名は越中の戦国大名の流れをくむ旗本・神保家の屋敷があったことが由来とあります。戦前の東京市時代は「神田区」に属し、戦後に千代田区となった際に「神田神保町」となりました。明治から昭和初期にかけて、駿河台から神保町、一ツ橋にかけての地域には大学が集結し、古本屋や出版社が並ぶようになり、現在の姿を形作りました。

東京大空襲などで被害に見舞われた都心部にあって、神保町一帯は辛くも戦災を免れました。そして、現在の高層マンションやビルが増え続ける中で、まだまだ関東大震災直後に建てられた銅板貼りやモルタル塗りの看板建築が数多く残っています。そうしたレトロな建築、看板建築を探索します。ここに挙げた建築以外にも、町並みのどこかにレトロ建築があるのを発見する楽しみもあります。


マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。

神保町駅からスタートします。A1A2出口から出ましたので、そこから行きやすい順番で書いてあります。

矢口書店 (看板建築)

築年:1928年(昭和3年)。
神保町の靖国通りに面した古書店「矢口書店」は映画・演劇関係を扱う書店で、大正7年創業。建物は昭和3年に建てられたモルタル塗りのモダンな看板建築で、震災復興建築といわれるものです。同じ建物に入っている「古賀書店」も大正時代創業の音楽関係専門の書店です。

矢口書店
矢口書店

誠心堂書店 (看板建築)

築年:1959年(昭和34年) の戦後の看板建築。
和本・書道・国漢系学術書を専門としてきた書店です。旧帝国ホテルに用いられた縦に櫛目の入った黄色の施釉スクラッチタイルの外観を持ち、青いスパニッシュ瓦の小庇が特徴。

誠心堂書店
誠心堂書店

うなぎ今荘 (看板建築)

築年:1933年(昭和8年)。
独特なファサードが周囲に異彩を放っています。震災復興期における木造 3 階建ての建物で、看板建築の一種で、独自の和洋折衷デザインが印象的です。玄関は唐破風、最上部は神社のような和風フレームがあり、その下に和とも洋とも取れる大きな丸窓があります。

うなぎ今荘
うなぎ今荘

文房堂ビル

竣工年:1922年(大正11年) 設計:佐野晄一。
明治20(1987)年創業の老舗の画材店。1990年(平成2年)に建て替えられ、当時のファサードの一面だけが保存されていて、4連のアーチ窓、スクラッチタイル、丁寧に施された彫刻的な装飾など特徴的な建物です。

文房堂ビル
文房堂ビル
文房堂ビル

旧博報堂本社

竣工年:1930年(昭和5年) 設計:岡田信一郎。
2015年にテラススクエアとして再開発され、取り壊されました。テラススクエア1階部分には、塔屋やファサードの装飾が小洒落ている旧博報堂の外観が復元されています。

旧博報堂本社
旧博報堂本社
旧博報堂本社

学士会館

竣工年:1928年(昭和3年) 設計:佐野利器。

1877(明治10)年4月に創設した東京大学は、1886(明治19)年、「帝国大学」と改組改称いたしました。それまでの9年間、東京大学総理であった加藤弘之先生が退任されたのを機に、先生に対する謝恩会が開かれました。
これが「学士会」のはじまりと言われています。のちに、旧帝国大学出身者の親睦と知識交流を目的とした場に発展して行きました。

震災後に建築された震災復興建築です。外壁が昭和初期に流行したスクラッチタイルで覆われた、当時では珍しい耐震・耐火の造りとなっています。新館は昭和12年に増築されました。

https://www.gakushikaikan.co.jp/info/
学士会館
学士会館
学士会館

建物の周囲には歴史を紐解く記念碑が置かれています。

東京大学発祥の地
新島襄先生生誕の地
日本野球発祥の地

学資会館は2024年一杯で休館、改修になります。新館は取り壊し、旧館は旧博報堂本社のようなファーザード保存にはしないということのようです。旧館は耐震補強して活用?と読めます。


この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのテーマ別「Th-07今に残る近代レトロ建築」を基に街歩きをしています。記事の内容以外にもAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。

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