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慣れない

雨が降ればそこかしこにため息が溢れている。気持ちのいい晴れの日にため息がないわけじゃない。でもそういうさわやかな日差しはそういったことを薄める作用があるらしい

雨の湿度は、体のどこかを不調にするのだ。

ところで、人は生活の為に働く、まぁ僕のような大学生は未だに親の庇護下にいるので、自分の欲望を満たすために働いている。勘違いしてはいけないのは欲望と言っても働きたい欲ではなくて、物欲やらなんやらの欲だ。資本主義化では何でも金と交換できる。愛すらも。

それなのに巷ではやりがいのある仕事、と皆が叫んでいる。たかが金を得る手段の一つに過ぎないのに、そのうちに逆転して、仕事はしないといけないものという価値観に変わっているのは滑稽だ。その上、それを正当化するためにやりがいなんて言葉を出されたら、頭を抱えて笑っちゃうよ。


ともかく、だいたいの人は働いているのだ。かく言う僕もバイトをしている。しかし湿気というのはミスを呼び起こす。今日はなかなかミスが多かった。誰にも怒られないし、別に店のことがそこまで大事かと言えば首を縦に振らないのに、頭はぼやけていく、ミスは連鎖する。

どうしても責任感という言葉からは逃げられないのだ。この前交流分析の診断テスト?的な物、まぁエゴグラムの事だが、それをやったらAC、つまり自分の中の順応的な子どもの部分が多いということが発覚した。というか満点だった。

皮肉にもこの結果を裏付けるようなことが起きてしまっているわけだ。まぁだからと言って自分が悪い人間かというとそうではない。だが理想との乖離があればあるほど、人は悩む。未だに僕はそこにいる。

エリクソンが唱えるアイデンティティの確立はいったいいつになったらできるのだろうか。

まったく、20年近く生きているのに未だに自分という乗り物に慣れない。

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