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変化って言う言葉は何だ

最近何というか変化が必要かな?と少しづつ思いだしたところで、変化ってなんだ?と思ってしまった。

そもそも変化なんて日々勝手にしているし、一秒前の自分と、今の自分が同じであるとはどこの誰にも言えないはずなのにどうして変化なんて仰々しく皆仰られるのか理解に苦しむ。なんて思ったり…

それでも自分は変化という言葉を軽々しく使うし、それにまた辟易したり、何というかこういうのを所謂自家撞着というのだろうかと少し思ったり、思わなかったり。

そもそも、少し話は変わるが進化という概念はダーウィンから始まった?のかその辺は定かじゃないけど、まぁその辺だろうと思う。そして多くの人は進化論を勘違いしている。キリンが高いところにあるものを食べようとしたら首が伸びた??なんて都合のいいものなんだ進化という奴は。つまり意思の力で進化できるとでも?はたまた環境に合わせて動物は進化するとでも?

本当のところは違う、むしろ逆だ。つまりたまたま遺伝子の複製の際に起こったエラーの結果、たまたま首が長い個体が生まれて、それがたまたまその環境の中では生きやすい個体だったのでその遺伝子が生き残って、それが一般的にキリンと呼ばれているにすぎないのだ。要は、身も蓋もないことを言えばたまたまだ。みんなの言う進化とは所詮カメレオンが色を変えるとかそういう変態に過ぎない。変態なら人間の得意分野だね。善にも悪にも。

とは言えども進化や退化(退化というのはそもそも存在しないような気もするけど)、それから淘汰は自然の摂理でもある。まぁ遺伝子はエラーを起こすものだし(遺伝子情報の量を見れば当然だ)、そういう意味ではもしかしたら意図のあるものかも。例えば蝸牛、蝸牛は無性生殖ができるがそれは最終手段だ。基本的には有性生殖で子孫を残す、何故ならクローンでは変化する環境に対応できないから。こういうと進化がの能動的であるとも感じるけど、所詮宝くじを買うみたいなもんだ。そんな低い確率ではないけど

なんてことを言っているとやはり変化っておかしな話だ。特に変化しよう!というのは。人に関わらず、変わるかどうかは所詮運。ペシミスティックな気もするけど、そういうものこそ案外真理に近い。気がする

うーん結局僕は何を思ってこの文章を書き始めたんだろう?書いているうちに本筋というものを見失ってしまった。これが変化という奴らしい。やはり一秒前の自分は自分であって自分ではないらしい。結局のところそういうことだ。

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