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疎ましいいい

 高速道路を走るバスに乗って景色を眺めている時、僕はとてつもない不在感に襲われる。だってそうじゃないか、このバスを運転しているのも、このバスを作ったのも、高速道路の料金所の人も、高速道路を作ったのも、運営しているのも、全部、全部僕じゃない。僕はただ他人の恩恵にあずかっているだけのただの大学生だ。そしてそれが社会だ。

 僕は何事も一人でできたらなって思うタイプの人間なので、英語のグループのプレゼンも、中学校の時入っていたサッカークラブの道具管理も率先して一人でやった。だってどうせ誰もやりたがらないし、誰かがやらなきゃ不利益をこうむるのは自分だ。誰かに責任を持ってほしいけど、同時に誰かに任せることほど怖いことはない。だから自分がやってしまえという精神なのだ。しかし社会はそうじゃない。世の中のことは一人ではできない。僕らは神様じゃないのだから。神様だってきっと一人では世界を上手く作れなかったのだろう。僕らみたいな不完全な存在がそれを表している。僕らが不完全なものしか作れないように。

 だから僕は今日も無用な会話をする。特に喋りたいことがなくても相槌を打つし、人の話を聞く。疎ましいことこそ人間の美徳になり得るから。

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