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New no+eBook

ぼくはまっさらなノートが好きだ。まだ何も決まってなくて、まだ何も書かれていないまっさらなノートが好きだ。何かしら新たな決意をするといつも新しいノートが欲しくなって、何を書こうかと考えるだけでワクワクしてくる。そこにはいろんな可能性が満ちているからだ。
ここから何かが始まりそうな予感がして、優柔不断でいくつになっても迷ってばかりで、どうしようもないぼくの行く先を照らしだしてくれるような。
そして、そんなぼくをどこか遠くへと連れ出してくれるんじゃないかと勝手な期待をしてしまうのだ。

でも、なんでだろうな、、どうも様子がおかしい。可能性に満ちているはずのまっさらなノートは、いつも数ページ書いただけで終わってしまう。あのワクワクして、何かが始まりそうな予感は一体どこへいってしまったのか。日々は何も変わらないまま、無常にも時間だけが遠くかけ離れていた未来へとぼくを運んでいく。

いつも「何か」がある気がして始めても、その「何か」は、いつも何もなかったような顔をして、音も立てずにシレッと消え去っていく。やれやれだよ。

時が経つとぼくはまた懲りもせずに新たな決意を抱き、新しいノートを買ってしまうだろう。
そうやって、ぼくをどこへも連れ出しはしないノートの山が積み上がっていく。そんなこんなでこの何も実らぬ無限ループをもうかれこれ20年近くも繰り返しているのだからそらおそろしやだ。

そしてブログもノートと似たようなもんで、いつも続かない。去年もブログを開設したんだけど、一度だけ書いてずっと放置状態だ。何かを続けることは本当に本当に難しいもんだなぁと、切に思う。

2024年、今年も懲りずにノートとメモ帳を購入してしまった。2月から書き始めたこのノートは、なんと55日間連続で書き続けている。これはいつも数ページでやめてしまうぼくにとっては快挙である。
とはいえ、このノートももちろん、未だぼくをどこへも連れ出してはいないので、今のところ頭の中のモヤモヤを吐き出してるだけなんだけど。

(そもそも、そのどこか遠くってのも曖昧模糊とした状態で、素敵なとこなんかじゃないことは、おっさんになってしまったぼくにはもう既知の事実だ)

ただ、今回のノートが以前と違ってるところは、道標にはなっているような気がすること。そして、不思議なことに何日も書き続けているのに、まっさらなノートに向かうような心持ちで書けているってところも、以前とは違っていること。

もしかすると、日常も同じなのかもしれない。同じような日々が繰り返されて辟易してしまうけど、きっと自分の心持ち一つで、まっさらな一日を始められる。そうはいっても、日々の忙しなさに忙殺され、心が曇ってしまっていると、なかなかまっさらな一日を、なんて心持ちで始めることは出来ない。

ただ、大きな変化じゃなくても、ほんの小さな変化にワクワクするような一日なら、もしかしたら小さく小さく始められるかもしれない。たとえば、この世界のどこかの片隅の、小さな部屋で暮らすただのおっさんだって、気分よく心地よく過ごすことで、何もない日常に小さな彩りをひとつ。

このブログもいつまで続けられるか分からないけど、まっさらなno+eに、何度でもまっさらな気持ちで、小さすぎていつもなら見逃しそうになる日常に埋もれる彩りを掬って、思いのまま自分の書きたいことをひたすら書いていく。


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