ルックバックを見た
※映画「ルックバック」のネタバレを含みます。
ルックバックを見た。
原作が出たばかりの時に初めて読んで、大泣きした覚えがあったので、これは見るしかないと映画館へ駆け込んだ。
平日の昼間でもお客さん、特に海外の方の姿がちらほら見えた。
幼い頃から絵を描いてきた人間にぶっ刺さる映画だった。ぶっ刺さった矢が抜けない。
物心ついた時から鉛筆を握りしめ描き殴ってきたので、藤野ちゃん(主人公)がまんま私だった。
彼女みたいに自信満々にはなれなかったけど、絵はずっと描いてきたから、藤野ちゃんが見る情景は私も見たことがあるものだった。
「絵が描けること」が自分のアイデンティティだと思っていた。
周りからチヤホヤされる、私だけができること。鼻高くいられること。
でもそれが、同級生や家族の何気ない一声で打ち砕かれたことがある。
「中学で絵を描いてたらさ…オタクだと思われてキモがられちゃうよ?」とか、まさに小・中学校で痛いほど浴びた視線だ。
中学でも絵を描き続けて美術部に入った私は、教室ではオタク、変人扱いだった。実際オタクだったけど、いつまでも疎外感は拭えなかった。
やりたいことなのに、周りの視線が気になって思いっきり描けない。
机に自由帳を広げられなかったあの空間が、息苦しかった。
ちゃんと教室で息が吸えるように、私は高校入学で、絵を描くことをやめようとした。
マイナーなスポーツの部活に入って、普通の大学を目指す。それとなく”普通の人”に擬態しようとした。
いくつかの部活見学に行ったけど、正直自分にぴったりハマるものはなかった。
ダメ元で美術室のドアを叩く。
そこには顧問の描き途中のキャンバスがそびえたっていた。
丁寧に塗り重ねられた色層。繊細な筆使い。説得力のある画面。圧倒的才能。
一朝一夕では到底辿り着けない領域を目の前にして、圧倒された。
と同時に、「私もこの人と描きたい」と思った。
ずっとやりたいことを見ないようにしていた。私、まだ描きたかったんだ。
やっと自分の心が彩られた。
藤野ちゃんにとっての京本ちゃんが、私にとっての顧問だった。
藤野ちゃんも、一度は折った筆をまた持ち始めた。そんなところを無意識に、自分と重ねて見ていたみたいだ。
藤野ちゃんも、京本ちゃんも、二人とも形は違えど、美術や絵や漫画がないと生きていけない人だった。劇中で二人が出会わなかったとしても、自然と美術の道を選んでいたように。
私もきっと、美術から離れられないのだ。高校で美術をやめようとした時も、美大を卒業して、”普通の会社”に入っても。
無数のパラレルワールドがあっても、結局美術に戻ってくる。そうできている気がする。
自分の好きなものを目の前にすれば、それを選ばざるを得ないのだ。
”普通にならなきゃ”という焦燥感が、1番私を息苦しくさせていた。
好きなことを続けていれば、やがてその人にとっての”普通”になる。
彼女たちなりの普通を思いっきりやっていたあの時間が、尊かった。
私でも、普通にやりたいことやっていいんだろうか。
それなら、もう1回美術をしたい。涙が溢れた。
私の”普通”を、もう一度振り返りたくなった、そんな映画だった。
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