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あと少しで学割が使えなくなるから、

こんにちは。プラス気温にテンションが上がり、薄手のニットで出かけたら手が悴んでしまう日々を送っています。

学生生活が残り2ヶ月を切りました。
小学生から換算すると、16……16年か!!数字にすると改めて凄い
カラオケの学割で安く楽しめた日々が、終わりを迎えようとしています。
もう学生じゃなくなっちゃうんだなあ、寂しい。
学割が使えなくなる前に、この大学生活をちょっと思い出してみたい。

やっぱり1番成長を感じられたのは、大学生活だと思う。
180度変わった…というと変わりすぎだから、160度くらい?でも考え方は本当に変わった。
総評してみると、「人生は1割の気質と9割の環境」なのだなと思う。
元々の自分の性質は変わっていなくても、どこに身を置くかで、他者からの評価や印象は別人のように変わる。

以前、大学の人たちが自分をすごく褒めてくれる、という話を書いた。
あれがなければ、今の私はいないといっても過言ではない。
高校生までの自分は、マントルにまで届いてしまうくらい自己肯定感がどん底だった。
そのくせ、完璧じゃない自分が許せなかった。万人に優しくて好かれる人間でなければ、自分に価値がないと思っていた。
運動はできないし、リコーダーは吹けないし、料理は焦がすし、元々完璧な人間ではなかったのに、「完璧でい続けなきゃいけない」という自分に課したプレッシャーに息が苦しくなった。
「長所がないところが長所」というボケを本気で思っていた人間だった。

今思い返すと、幼い頃の自分は我慢や許せないことを無意識のうちに増やしていたように思う。
あれもダメ、これもダメ、大人から禁止されていなくても勝手に制約を作って、枠からはみ出さないようにすることだけを考えていた。
だから、「自分がどうしたいか」なんて考えられなかった。自分の意見を持ってもどうせ誰も聞いてくれないから、否定されるのが怖いから、持つ意味がないと諦めていた。
「自分の意見を持つこと」が、何よりも許せなかった。

そんな自分が唯一自分の意見を伝えられるのが、絵だった。
絵で何かを表現しても、直接言ってくる人はほとんどいなかったから。
絵が私にとっての内省だった。だから、大学くらいは好きなことをしたかった。
今まで教室で自由帳を開くことも許されなかったけど、それが許される場所が、欲しかったのかもしれない。
美術に関心がない両親や友人たちとは違った人たちと、関わってみたかったのかもしれない。

美大に入って、本当に良かった。心の底から。
悔し涙した回数は数えきれない。多分人生で1番辛かったこともあった。体も心も動かなくなった時もあった。
でも、大した興味のない学部に入って、惰性で授業を受けて、美大に入りたかったなあとたまに思い返して、何に情熱を注げばいいのかわからない生活を送るよりも、よっぽど良かった。
少しだけ残っていた自分の意思を貫いて、周りに合わせなくて良かった。

ここは、自分の意見を持つことを許された場所だった。
むしろ、「あなたはどう考えてるの?」をずっと問われ続ける環境だった。
最初は意見がない自分がコンプレックスで、無個性な自分に押しつぶされそうだった。
でも、多くの表現、人々、考えに出会い、肯定してもらえて今の自分が形成された。
正直、今でも自分を許しきれないところはある。でも、前よりもずっと、自分を許せるようになった。
こんな私でもここにいていいんだなあ、存在していいんだなあ、って安心できる場所ができた。

そんなあたたかい場所から離れなければいけないのは悲しい。出来ればずっと浸っていたかった。
環境の変化が1番自分に負担がかかる。クラス替えだけでも心臓が口から出てきそうなくらい嫌だった。
でも、この4年間で自分のことを好きになれて、どんな自分がいてもいいって認められたから、これからにちょっとだけ期待も持てるくらいになった。

幼い頃の自分が思い描いていた成人とは程遠い、「子供っぽさが抜けない、大人を装った人」になってしまったけど。でも成人しても案外と子供みたいなところって残ったままで。今まで自分が見てきた大人たちも、こういう子供みたいな未熟な部分を抱えていたのかなと思う。

「立派な大人」にはまだまだ遠いけど、なんならそんなものにならなくてもいいけれど、周りも自分も許せる人でありたい。

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