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悔しさのバネ、大気圏突入

またお久しぶりの投稿になってしまいました。皆様いかがお過ごしですか。
もうこちらも雪がチラついて……どころか、ドカ雪で前が見えません。

12月はひたすら卒制に没頭してて、今月は何を書こうかなあと思ってたら、11月末のnoteの下書きを見つけまして。
見返したらリアルで、私の悔しさを殴りつけたような文章だったので、ここで供養しておきます。


卒制の中間講評で、ボロクソに言われてしまった。

もうその場にいられなくなってしまって、終わった途端外に逃げ出した。
雨の中「最悪、最悪だ」と呟きながら人気のないところを探した。
顔に流れているのは、雨なのか涙なのかわからない。

10月から、あれでもないこれでもないと、自分が納得する作品形態を作るまでに相当な時間がかかってしまった。
じっくり考えて、自分の中で納得してから行動するタイプの人間なので、エンジンがかかるのがべらぼうに遅い。
だから講評で「進みが遅い」と言われるのはわかってた、わかってたけども。
やる気がないとかサボっていたと見なされてしまった、向こうにはそんなつもりなかったかもしれないけど、私がそう受けとってしまうようなことを言われて。
この2ヶ月間何をしてきたの?というような、教授陣の乾いた笑い。
こんな中途半端なものに何を言えばいいの?という呆れ顔。
嫌でも伝わる。突き刺さる。

私は、サボってない。
サボりたくてもサボっちゃいけないと思って、自車校が終わってからすぐ大学に向かって制作をしていた。
でも正直何も手につかないから、逃げたかった。
とにかく形あるものを見せなきゃ何もしたことにならない、「考えていたという証明」にならないと、試作品をたくさん作った。
ずっと、作品と向き合い続けていた。苦しかったけど。
まあその段階にいるのがそもそも遅かったのかもしれない。

私には定着された作風がないし、あまりそれだけでやっていきたくないから、毎回コンセプトに合わせて作品形態を1から作り上げる。
作品のテンプレって正直自分が作っててわくわくしない。面白くない。
やっと作品形態までこぎつけて、さあたくさん作ろうと思った矢先、それが砕かれる。

ゼミの先生とはよく話し合いをしてるから、私がどれだけ慎重な人間かはよく知っている、と思う。
だけど他の教授は、作品を見たって私の数々の思考の断片を見ているに過ぎない。
私の過程も何もかもすっ飛ばして、何を評価できるんだろう。

美術界にいるのがすごく嫌になった。
結局教授陣ですら、表面的な・視覚的な面白さでしか、判断していないことにうんざりしてしまった。
コンセプトを重視した作品は、なんとなく除外される。
密度があって、大きい絵ばかり評価される。
美術はそれだけじゃないって教えてくれるのは、貴方たちじゃないのか?
それなら、コンクールで美術専門外の教師たちが、写実的な絵にばかり投票するのと同じじゃないか。
悔しい。なんとも腹ただしい。
ここではコンセプチュアルアートは死体なのか?もう必要のない美術なのか?

視覚的な気持ちよさだけを重視しているなら、外の裏山でも見てろ。紅葉が綺麗だぞ。


ここで終わってました。
スカッとしつつ、じっとりじわじわ抉る感じ。自分がこんなの書いてたんだ、ってちょっとびっくりしちゃいました。
これ見られたらなかなかやばい内容ですけど、もう大っぴらに出すことにします。
自分が真剣にやってることくらいは、本音で話したいので。

今は卒制の方向性も大分固まって、ガンガン制作してました。
もう迷ってる場合じゃない!作るしかない!って状況だったから腹を括ったところもあるけど、今思えばあのズタボロ講評があったから制作できたところもあるのかなと思っていて。

いや正直とんでもなくムカついたし悔しかったけど、絶対見返してやる!でかいだけが、密度の高いものだけが正義じゃないって作品で教えてやる!って逆に燃えてました。
私はどうやら悔しさをバネに戦う人間みたいです。強すぎて大気圏突入しそうな勢いのバネですけども。

思い返せば、ポジティブな動機よりもネガティブな動機……マイナスの状況から脱却するために頑張る!みたいなことの方が多かったかなあ。
今まで「憧れの〇〇になりたい!」とか「〇〇っていう目標を達成したい!」とか、前向きな夢に向かって努力しようと思えない自分に嫌気がさしたけど、ネガティブな動機の方がとんでもないパワーを発揮できるんですよね。
それもまた自分、と収めることにします。

これからも寒さは続きますが、ご自愛くださいね。ではまた!

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