見出し画像

最近の介護福祉業界での課題に「ヤングケアラー」への対応がある。

18歳未満の児童・学齢期の少年少女が家族・親族のケアを担っている、そんな状況のことを言うらしい。過剰な負担がかかっている場合にはやはり何らかの手助けは必要になるだろう。方向性としては直接ヤングケアラーに対してではなくて、高齢とか障害とか疾病とか貧困とか「ケア」を受けている対象者への適切な介入からになる。
行政や福祉職が状況をきちんと把握して年齢関係なく誰もが健康で文化的な生活が営めるように調整していく視点が何よりも大事。

ただ、「ヤングケアラー」の概念が表面化して話題性が高くなると、何でもかんでも関連付けてしまって子どもや若い人がケアを担うことが良くないことのように捉えられてしまうのは本末転倒ではないかな~って感じたりする。

家族の中に病人や障害のある方がいたとして、子どもだから関わらせない。それもその社会や家庭の考え方だけれど、自然に受け入れて家庭の中でその子なりにできることをしていく。自然に助け合ったり支え合ったり包摂的な実践をしていくことは尊いことじゃないかと思う。

上記のホームページの例の中で、大人並みの責任を強要されるようなことは、早急な改善が必要だと思う。
けれども、高齢の祖父母・曾祖父母の見守りとか多少の家事分担とか幼い兄弟の世話とか、こういう日常的な活動まで子どもだからしなくて良い、って啓発はいかがなものかと思う。

当然、頻度だとか軽重とか責任範囲みたいなものはあって、それをやるべき人がいないとか、させられているみたいな、過剰な負担には配慮が必要。
だけど、家族として子どもにもできる範囲での役割を担ってもらうことは、その子の経験を増やすことになると思う。

人って年齢や学年で大人と子どもの線引きするのは容易だけれど、その線でいきなり成長できるわけではない。いろいろなものを見聞きして対処して実感していく中で覚えていく。それが大人になるってこと。
家事や子育てや介護みたいな生活の技術は、その年齢なりの経験で家庭や社会の中で少しずつ学んでいくもののような気がする。

自分も祖父母との同居で、自宅介護する両親の背中をみて育ち、排泄の世話や見守りなど手伝ってきた。学生の頃からそれなりの家事分担もしてきた。少しずつ家族のための活動をする、というのは家庭に属していれば当たり前のことだと思っている。

ヤングケアラーの問題、表面的にわかったつもりになったり、中途半端な興味で介入することなく本当に必要な支援は何なのか、地域の中で親身に考えていくことが大事だと思う。

今回の記事は、子どもにも役割を担ってもらうことは社会経験として大事なことかもしれないって考えを投稿した。

その子ども、少年・少女が過剰な負担を強いられているとか、あまりにも不適切な状況におかれていると判断されるケースでは、行政なり福祉職なり児相なりで速やかに適切な支援をすることの必要性・重要性については言うまでもない。