「アセスメント不足」

ケアマネジャーの研修だとか事例検討とかでよく言われるのは、対象の利用者を良く理解すること。相手を理解するためにはアセスメント用紙を全て埋めるぐらい詳細な聞き取りをして、更に既往歴、生活歴、家族関係なども深く知ること。
そういうことを言う講師や主任ケアマネやファシリテーター、本当に現場での実践をやったことあるんですか?って聞きたい。

言ってることは間違いではない。利用者とコミュニケーションが取れなければ支援はできないから、理解したい気持ちを向けるのは当たり前のこと。
ただ、相手を知ることって、相手の気持ちに土足で踏み込むことではない。

インテークの段階で、グイグイと入り込んでくるようなケアマネや相談員は鬱陶しい。おそらく通常の場合は、様子見をしながら利用者が出してくれる情報だけでも、介護サービスの利用調整をすることは可能。主訴の中に困り事があり、それについての対話をしていくことでニーズの充足ができる。
時々、看取りとか入所前のショートの調整など開始直後から終了が見えてる場合もあるけれど、居宅介護支援を提供していくのは、3か月6か月、1年と長期的なスタンスになることが多い。

利用者の反応を見ながら、聴いていくこと、聴かなくて想像できること、少しずつ深めていくのがアセスメントと思う。

困難事例と呼ばれるケースがあって、利用者とのコミュニケーションが取れなくて支援する側が困ってしまうような場合。特に生活歴、この利用者がどういう考えを持ち、どういう生き方をしてきたのか、深く掘り下げたいけれど、現在に陰を落とすような出来事って簡単に教えてはもらえない。具体的に何が起こったのかみたいなことは、汚点とか傷ついたことほど忘れたかったり秘めておきたいことだから。安易に聞き出そうとすればするほど利用者は口を閉ざし、ケアマネは信用されなくなる。
利用者の口から正確な情報が聞き出せるとは限らなくて、不快感を表現したり黙り込んだりする部分にこそ、問題の核心があったりする。利用者本人や家族、周辺の事業所や関わりのある人達からの情報を統合して洞察することがアセスメントの極意。あなたを理解したいから、あなたのことを教えてって言われて素直に教えられる人は幸運な道を歩いた人。あんたになんか理解して欲しくないって考える人もいる。利用者の生活の証はケアマネのアセスメント表を埋めるためにあるのではない。

誠実な対応を繰り返して、多少は信用してもらえる関係性を築いてこそ、利用者の心が開かれる。
利用者が出してくれる情報を確認してサービス利用を開始して、月々や節目毎にいろいろな情報をやりとりして関係は深くなっていく。

支援が上手くいかないのは、「アセスメント不足」だと言える。でもそれって聞き出す情報の「量」が足りないのではなく、利用者の言葉や様子から導き出す洞察力の欠如だと思う。
無神経な関わりは人の心を傷つける。特にインテークの場面では細心の配慮が求められる。