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対人支援について その1

「対人援助」すごく仰々しいけれど、要介護認定されている高齢者とそのご家族との関わりを生業としているので一言ではこんな言い方になる。

自分ではそんな大層な仕事をしてるとは感じない。けれど利用者さんたちと対話して各々が納得した方向性を見つけていただいて、例えば生活が改善したとか気持ちに余裕ができた、とか心身が向上したとか環境が良くなった、等々明るい方向になっていけば、自分も幾ばくかの貢献ができたのかな~って感じたりする。誰かの役に立ったかもしれないと思えば自分も幸せな気持ちになったりする。
 でも、自分はそんなに大したことをしてるわけではなくて、ひたすらに話を聴き、こういうことだろうか?って問いかけを繰り返して、その時に持ち得る選択肢を提示してそれぞれのメリット・デメリットの比較とか優先順位を一緒に見つけていく、そんなことしかしていない。

 決めるのは利用者さん、本人と家族との決定の優位性はそれぞれだけれど、そのご家族にとっての最善と当事者が判断したことを実行するだけ。
周囲の支援者、傍観者から見ると?な場合もあるけれど、ご自身のことに真剣に取り組んでいただいて考え抜いたことは、多くの場合間違ってはいない。利用者が最善と判断して決めたことが、やっぱり最善なのだと思う。支援者にとって悪手であっても、それはその支援者の考えでしかない。

 支援者である自分を信頼してくれ、の前に自分がクライアントを自己決定できる主体だってことを信頼できなければ良い関係は築けないように思う。利用者が自分の言うことを聞いてくれない、って非難する前に自分は利用者の言葉を聴いているのか?ってこと。

自分が関わる方、本人はほとんどが晩年を生きる方。支援はいつか終結する。お元気になって卒業って方は希有。ご自宅での看取り、入院先での死亡、施設への入所、突然の急変とか急死される方もいる。
予後の見通しがついて亡くなられる方もいるけれど、想定外の最期を迎える方々もいる。
入院とか入所される選択も充分に正しい。その場合は自分の役割を果たし次へのバトンをしっかり渡すこと。在宅にいることが必ずしも正義ではない。
支援者としての自分の役割が終了するとき、これで良かったんだって本人・家族が納得できるのが一番大事なこと。
弔問に伺って枕辺で本人のことを語り合ったり、介護生活を振り返ったりするとき、ほとんどのご家族が穏やかな表情をする。感謝の言葉をいただくたび本当にこれでよかったのかと自省する。けれど、ご家族の納得があってこの表情がみられて間違いではなかったと確信もできる。

対人支援って支援者がリードしたり導いたり前に出ることではなくて、引き出すことかな~等と考えたりする。何でも利用者の言いなりになるってことじゃなくて聴いた上で問いかけをして一緒に考える。
私には私の考えや意見もあるけれど、あなたにはあなたの考えがあって、それを尊重しますって姿勢を見せていくこと。
こういう部分が、自分の仕事の一つの軸だったりする。

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