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やさしく 寄り添う

福祉とか介護の領域でも時々見かけるフレーズだけれど、支援を受ける側が使ってる分には、そんな風に好意的に感じて下さってありがとうって思う。「やさしくしてもらった」「寄り添ってくれた」って素直に感じることができるのは、あなたが素直で優しい人だからに他ならない。

だけど、支援する側が自分でその言葉を使うのはNGだと思う。なんて自信過剰で傲慢なんだろう。その、「やってやってる」的な臭いが自分はどうしても苦手。

「やさしい」とか「やさしさ」って言葉は、胡散臭い。「寄り添う」って言葉も嘘くさい。プライベートで誰かと一緒にいるとき、この人の力になりたいって思うこともあるけれど、相談されるまで積極的な気持ちは向けない。相手の気持ちが軽くなるような言葉はかけたいけれど、やさしさなど意識したことはない。

仕事は相談・助言が中心の対人援助職だけれど、その中では「寄り添う」という単語は敢えて使わないようにしている。相手の気持ちが固まるまで「待つ」ことは常時あるし、利用者の気持ちを理解し尊重することは一番重要だと思ってるけれど、「寄り添ってます」なんて陳腐な言葉は使いたくない。
自分が利用者の立場になったとき、「あなたに寄り添う優しい私」みたいな支援者は気持ち悪いし信用できないから。

「やさしい」とか「寄り添う」って言葉は一般的に肯定されたり、良い意味で使われることが多い。否定的な読み方をするのは捻くれてるかもしれない。まあ、受けた側が感じる分には別に構わないけれど、提供する立場で使ってるのは何か嫌な感じがする。

課題解決の主体は当事者。本人が、家族が納得できる選択がなされるように、選択肢を提示したり一緒にメリットデメリットを考えることが、今の自分の立ち位置。丁寧でわかりやすい説明、利用者の想いを真摯に聴くこと、広い視野を持ち忌憚のない意見を伝えること、利用者の自己決定を尊重すること・・・・。
そんなこんなを「寄り添ってる」って言うのかもしれないけど、単なる言葉の印象だけど、自分は違うような気がする。自分は「寄り添うやさしさ」なんて持ち合わせていない。あるのは職業倫理に照らした、自分に係る範囲での責任だけ。

「やさしい」には、もっと感じることがあるので、またいつか書いてみたい

今朝もこの方の記事に触発されて書いてみた。いつもありがとうございます。事態が良い方向に向くように願っている、私もその一人です。