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よく死なずにここまで頑張ってきたね、 家族も友だちもいてくれたけど、生きづらさをひとりで抱えて辛かったね

ADHDやASDと言う言葉、
知ってはいたし、本もたくさん読んでいて知識もあったのに
まさか自分がそうだなんて、思わなかった。

今思えば、
無意識でそう思いたくなかったんだろうな、と思う。

ADHDだと認めてしまったら、
私は、欠陥人間で、生きづらくて、
もう今世では幸せにはなれませんよ、と
自分で自分に宣告するような気分になってしまうことを

たぶん、どこかで恐れていたんだろうな。

そこを突き付けられるくらいなら、
もう現実が大変すぎるけど、
必死に頑張っていく、っていう方を
私は選んできたんだと思う。

40歳もすぎて、本当にボロボロだな、と感じた。

衝動性が強いから、
色々なことにどんどんチャレンジする人生で
周りから見たら華やかで、怖いもの知らずで
人生を謳歌しているように見えていたんだと思う。

仕事は独立してなんとか上手くやってきているし。

でも、本当は気持ちはいつも落ち着かないし、
頭の中はなかなか整理がつかづ、
先送りすることばかり。

大切なことの先送りが多くて、
余計に仕事が増えて、
それが整理できないで溜まっていく、、、の悪循環。

精神的にも疲れる。

音に敏感で、うるさいところは苦手、
うわさ話、どうでもよい話も苦手だから、
ガールズトークも苦痛。

それでも、笑って話を聞く術は身に着けているから
やるけど、やったあとにどっと疲れる。

小さな頃は
部屋がなかなか片付かない、
親族の集まりが苦手、
事務作業はできない、
周りとなんとなくテンポが違うから、
生きづらくて、もう生きているのが嫌に
何度なってきたことか。

でもADHDで、こんなに大変だったんだな、と思えたら
自分で自分をいたわろう、って思えた。

よく死なずにここまで頑張ってきたね、
もちろん家族も友だちもいてくれたけど、
生きづらさをひとりで抱えて辛かったね、

もう頑張らなくて良いし、
人と違っていていいし、
辛いことしなくていいし、
楽しいこと幸せになることしていいよ、って

そう素直に思えた。

もう、これ以上は頑張れないし
生きているだけで十分だし、
日々のちょっとした幸せと喜びを感じながら、
そんな毎日を過ごしたいな、と思う。

私たちは怠けていたわけではない、
健常者の何倍も頑張ってきたもの。
それでも、「この社会」では結果がでなかっただけ。

でも、生きているのは「この社会」なわけだから、
だからもう結果がなかなかでないところで
そんなに必死に頑張らなくていいし、我慢もしなくていい。

ただ幸せに楽しく毎日を過ごすことに
この賢い頭を使おう。

それだけで大丈夫だから。
だから、笑顔で毎日を過ごそう。何もしなくていいから。
大丈夫だから。

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