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綺麗であるために

「綺麗でありたい。」
これは容姿の話ではなく、性格や内面的な部分においてそうありたいと思っている。


綺麗にはさまざまな意味があるが、
綺麗=誠実であること
だと思っているので、日頃からそういう人間でありたい。


わたしは、日本語が好き。
日本で生まれたからというのもあるけど、言葉や文脈がとても綺麗だと感じるから。
だから、綺麗な文章を書ける人が好き。
ここでの綺麗は〝美しい〟ということ。
ただ読みやすいだけじゃなく、自分の気持ちを自分の言葉で丁寧に表現出来る人が好き。
そういう人の書く文章を読んだ時、わたしは綺麗だなと思うし、わたしもそうなりたいと強く思う。


noteを書き始めてから気づいた事がある。
学生時は感想文・作文・履歴書など、無理にでも文章を書かなければならないタイミングがたくさんあったけど、大人になるとめっきり文章を書かなくなってしまう。
わたしもその中の一人で、文章を書かなくなって随分と時間が経っていた。
なので、文章を書くことが億劫になってしまい、苦手意識を持つようになっていた。


でも、こうやってnoteにいろいろ投稿しているうちに、文章を書くことが苦じゃない事に気づいた。むしろ、楽しいとさえ感じる。


書いては読み直し、書いては読み直し……を繰り返す内に、頭の中が整理されていく感覚があった。
最初はなんて書けばいいのか、わからずに手が止まってしまうこともあった。
でも、今はさらさらと文章を書ける。
まだまだ未熟な部分はあるけど、少しづつ自分を表現する文章が書けるようになっていると思う。


本来、わたしは文章を書くことが好きだったのかもしれない。


得意なことがこれといって特に無かったわたしには、とても嬉しい気づきだった。
文章を書くことで、記憶や思考が洗練されていく気がした。
石を磨いてピカピカに光るまで磨きあげていくような、そんな感覚。
心にかかったモヤモヤとした霧も、文章を書くとどこか晴れていった。


人間が綺麗な部分ばかりじゃないことは、もちろん知っている。
誰にでも人に見せられない部分や感情があると思う。
他人からの悪意を感じて悲しんだり、他人へ対して悪意を抱いて悩んだりした経験が、わたしにも数えられないくらいある。
生ているんだから、そういう感情を持ってしまうことは仕方ない。綺麗事ばかりじゃ、この世界はやっていけないんだ。


その黒く濁ってしまった感情をどうするか。
綺麗には〝乱れている部分を片付ける〟という意味もある。
黒い感情を持ってしまった時、心が乱れている状態なんじゃないだろうか。
それを整理できる方法の一つが、文章を書くことだと思っている。
正解かどうかはわからないけど、書くことで自分を綺麗にできる気がした。


もし黒い感情で澱んでしまっても、どれだけ自分の中で整理し〝綺麗〟にできるか、それが大切なんじゃないかな。


誠実とは、真心をもって人や物事に接するという意味だ。
乱れた心では、優しく出来なかったり、それどころか逆に傷つけてしまうかもしれない。
自分にも他人にも誠実に。
常に〝綺麗〟でいられるよう、心を磨き続けていきたい。

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