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人を嫌いになれない

わたしはなかなか人を嫌いになれない。


嫌いじゃなけど、苦手な人はいる。
前は、苦手な人ともできるだけ仲良くして、良く思われるように接してた。
でも、自分の心を削ってまですることじゃないって気づいてから辞めたんだ。
それから、人付き合いが少しだけ楽になった。


苦手=嫌いかといわれるとそうじゃない。
自分に合わない部分があるから苦手なだけで、気づいてない良い部分があると思う。


『苦手』と『嫌い』って言葉のニュアンスは似てるけど、わたしの中じゃ結構違う。
苦手はその人と合わない部分がある事、嫌いはその人を否定や拒絶する気持ちがあるという事だと思う。
Aさんとは、性格や考え方が真逆だから苦手だけど、実は趣味が一緒で嫌いではない、みたいな。


悪い部分がない人がいないように、良い部分が無い人もいないと思ってる。
誰にでも〝善〟と〝悪〟の部分がある。
自分の中にいる天使と悪魔みたいな、そんな二面性を持ち合わせているのが普通なんだ。


そこを大切にしてるから、苦手=嫌いにはならない。
なんなら、自分に嫌な事をしてくる人でさえなかなか嫌いになれなかった。


そもそも、嫌いという感情を感じにくいのかもしれない。
嫌いになって〝嫌悪感〟を向けるって、すごくエネルギーがいることだと思ってる。
それと、人を嫌いになって〝嫌悪感〟が伝わってしまった時、相手から向けられる〝嫌悪感〟に耐えられないのかもしれない。


だから、
わたしは人を嫌えない、嫌う勇気がない。


昔から嫌悪感を抱きにくく、誰に対しても優しく接する方だった。
『誰が誰を嫌い』とか『誰が誰に嫌われてる』とか、そういうのに鈍感だったし、あまり気にしなかった。


女子同士の文化だと思うけど、女子は悪口を言い合う事で仲を深める。
そうやって〝わたし達仲間だよね〟って認識を強くするの。
わたしも『あの子と仲良くしないで』とか『一緒に無視しよう』って何回も言われたな。


でも、嫌いでもないのにそんな酷いこと出来なかった。
そしたら、今度はその嫌悪感がわたしに向けられて、嫌われ避けられる対象になった。
すごく悲しかったし、なんで?って何回も思った。


年齢を重ね何度も環境が変わったけど、どこにいってもそういう話はあった。
〝みんながみんな全員仲良しでいよう〟なんて、おとぎ話の世界にしかない幻想なんだ。


現実は、絵本や小説みたいな綺麗な話ばかりじゃない。むしろその逆の方が多いかもしれない。
それを実感する度、辛かった。
人を嫌いになれない自分がおかしいとさえ思った。感覚のどこか壊れてるのかもって。


わたしはおかしいのかな?
でも、嫌えないと、嫌悪に共感できないと、それを向けられる対象が自分になる。
それは嫌いになることよりも、もっと怖かった。


大人になった今でも、嫌いになる感覚がよくわかってない。
『誰に対しても優しいよね』って言われるし〝八方美人で媚びを売ってる〟って思う人も多いと思う。


でも、それって本当に悪いこと?
学校では誰にでも優しくしましょうねって習うのに、それを実際にする人は偽善者って嫌われちゃうの?
嫌いな人をなるべく作りたくない感覚はおかしくて、その感覚を変えてまで周りに合わせないといけないのかな。


世間は矛盾だらけだし、わたしも疑問でいっぱいだ。


わたしは、苦手だと思っても簡単に嫌いになりたくない。
嫌われるのが怖いっていうのも、もちろんある。
だけど、人と関わる時、悪い部分だけじゃなく良い部分にも目を向けるようにしたい。


それでも合わないなって時は離れたらいい。
これは嫌いになるんじゃなくて、距離をとって自分を守ることなんだ。
綺麗事ってわかってるけど、その綺麗事を大切にしたい。


生きてる限り、これからも生活を続けていかなくちゃいけない。
人間関係の輪からも離れられない。
明日も疑問でいっぱいの頭の中、精一杯考え生きるんだろうな。

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