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【3通目】在宅看護の世界

~病気になっても毎日を心豊かに過ごせるわたしであるために~
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私が在宅看護に関心を持ったのは看護学生のときでした。
病院実習では “パジャマ姿の患者が表情暗くベッドにいる” 状況でした。
地域実習では訪問看護師に同行し、末期の方のご自宅へ訪問しました。
すると、おしゃれなシャツを着たおじさんが「よお」と笑顔で出迎えてくれたのです。
“病人に見えない”ことが看護学生の私にとっては驚きでした。

「病気でも自宅で暮らしているとこんなに表情豊かになるんだ。私は、この方たちを最期まで支援する訪問看護師になろう」
と決意しました。

経験を積むため最初は病院勤務しましたが、葛藤の連続でした。

「●●がんのAさん」
病院内の医療者の会話では、残念なことに病名とセットでないと認識されません。

これっておかしいですよね。
病気にしか関心がないの?こんな環境に慣れたくないと思いました。

Aさんはこれまで○○して生きてきて、~~が好きで、□□を今がんばっている。
そんなAさんが病気になってしまった。
これが人生の物語です。

でも、病院の医療者は人生の物語に興味はありません。
病気を治療すること。これに集中します。

だから病院は治療をする場所です。手術や抗がん剤治療、放射線治療ですね。

入院中は、当然ながら病室にこもり、寝るかぼーっとして天井を見たり、つながれている点滴を見つめたりしている。
病室の外ではナースコール音や医療者の足音が聞こえてくる。
会話するのは医者や看護師が部屋に入ってきた数分。あとは面会時間に家族が来た時。
治療目的の入院なら、こういうものだと割り切れるでしょう。

でも、最期まで入院生活となると、どうでしょうか?
入院中の患者さんの表情は暗く、まるで、病室でただ死を待つだけの日々

私は看護師として何人もの方を看取ってきましたが、
病院では最期が近づいてくると心電図をつけられ、そうなると家族は心電図に注目してしまうんです。
旅立ちの瞬間すらも。
私はこの状況にやるせなさを感じていました。

自宅で余生を過ごしている方は、自分の好きなように過ごしています。
庭いじりをしたり、絵を書いたり。お話好きの方は友人が来てお茶会したり。1日1日充実した日々を過ごしています。
やがて病状が進行し、一人で動くのが難しくなってきても
見渡せば家族が居て話し声が聞こえ、料理や掃除などの生活音が聞こえる
会話をすることが難しくなっても、家族が手を握ってくれ、ぬくもりを感じられる
ああ、家に居るんだな・・・と実感し、こころが穏やかになる

ひとり暮らしの方でも、「私は病院には行かない。この家で死ぬんだから。みんなよろしく」
と言って、自分の意思を貫いた方がいました。
息を引き取ったあとの表情をみて、凛とした佇まいを感じました。

訪問看護師としていろんな方と接し、それぞれに人生の物語があるんだなと感じています。
そして、何気ない日常がどれほど貴重なことか、
自宅で旅立たれた方とそのご家族から
私たちは学ばせていただきました。

病人として最期を迎えるのではなく、自分らしく生き抜くこと。

体調が変化しても、どこで過ごすことが、誰と過ごすことが
あなたらしくいられますか?

病気があっても限りある時間を自分らしく、表情豊かに、こころ穏やかに過ごしてほしい

病人生活ではなく、自分らしい人生を生きてほしい

これが私の願いです。

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限られた時間のなかで、あなたがどう生きていきたいのか、お話を聞かせてください。
そしてこれからの過ごし方を一緒に考えていきましょう。
これから先のことが不安でどう生きていきたいのかわからないという方も、
自分の気持ちを言葉にして対話を重ねることで、気持ちの整理ができたり、自分自身が何を大切にしているのか再認識できたりします。
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