そのときはビールを

うぇっ、苦。

昔にちょびっとだけなめたビールの味は、どこがおいしいのか全くわからず、ただ苦いだけだった。
あのときのおこちゃまの舌が記憶した苦さは、わたしが今もビールを避けている理由にそのままなってしまい、もういい年になっているというのに、今までビールを飲まずにのらりくらりのお酒ライフを送っている。

居酒屋さんに行って頼むのは、もっぱらハイボールか梅酒。あとはカシスオレンジとかカシスウーロンとか、そういうのだ。カルーアミルクやサングリアなんかも好き。家では缶チューハイを飲むことが多い。ビールは半分、食わず嫌いのようになってしまっている。

しかし本当はこの夏、わたしはビールを飲んでいるはず、だった。
と同時に外で「ひとり飲みデビュー」をしているはず、だった。
それが9月の誕生日を迎えるにあたっての、次の年齢になるための通過儀礼だと、今年に入ってから自分でこっそり決めたことだった。

◇◇◇

別にビールを飲まなかったからといって、これからの人生に支障があるわけではない。けれど他のお酒は飲めるのに、なんとなくこのままビールだけをかわしながらいくのは、ちょっともったいないのかも。もうあれから10年以上経つし、そろそろいけるかな、と今年に入ってから思うようになった。

そして、ひとり飲みデビュー。
これはわたしがずっと前からやってみたかったことで、だけど今まで勇気がなくてできなかったことだった。

憧れだった。
ほら、ドラマとかでよくあるやつ。
「こちら、あちらのお席の方からです」って、バーのマスターにカクテルを渡されたりとか。

…さすがにこれは現実ではあり得ないか。

ただ、ふらっと立ち寄った店で、よく知らない人とお酒を酌みかわしたり、マスターとちょっと会話してみたり、そういうのいいなあと思っていた。

別にこういうのができなくても、美味しいお酒と料理に舌鼓をうって、ひとり心のなかで
「ぷしゅ〜」
っていうだけでもいい。(『ワカコ酒』の影響)

新しい年齢を迎えるにあたって、ちょっと新しいことをやってみたかった。人生の階段を一段あがるのだから、違う景色を見てみたいと思った。


暑い夏には冷たいビールでしょ。

そう思って8月ぐらいにできればいいなあ、と思っていたのに、まさかこんな状況になるとは。なってからも8月ぐらいだったらちょっとは落ち着くかなあと楽観的に考えていたのに、事態は良くなっているとはいえず、ずるずると通過儀礼は先延ばしになっている。

一軒、ひとり飲みデビューにふさわしそうな雰囲気の、気になるお店があって、そこの前を自転車で通るたびに、ちらりと中を覗いてしまう。
真っ暗な夜の中に、店内の窓からもれるオレンジの灯りがあたたかい。けれどもお客さんはあまり入っていないようだった。
グラスが規則正しく並んでいるなかに見える、女性店主の姿。顔にガッチリフェイスガードをしながら接客していた。ちょっと話しにくそうに見えた。

  ◇◇◇

もしかしたらビールを飲むとき、隣で見届けてくれるのは、唯一のわたしの友人である彼女かもしれなかった。

「5月に会えなかったから、今度8月に会おうか」
そう約束をしたのに、感染者数が増えたため、彼女との飲み会はまた延期となった。
この唯一何でも話せる友人と、最後に会ったのはいつだろう、とスケジュール帳を見返すと、2月だった。
それまでは大体3ヶ月毎に会って喋ってお酒を飲んでいた。こんなに会っていないのは初めてかもしれない。

彼女とは
「会えないからオンライン飲み会をしよう」
という話は出なかった。
わたしも友人もちょっとそういうのが苦手、ということもあるけれど、
「オンライン飲み会しよう」というよりも
「次また会ったときに元気に乾杯しよか!」と言い合いたい関係なのだ。
少なくともわたしはそう思っている。

彼女とかんぱーい、と言いながらガツっとグラスをごっつんこするのが好きだ。
普段なら小っ恥ずかしくて話せないような真剣なはなしを、お酒でごまかしながら話すのが好きだ。
一方でどんどん出されてくる料理に、
「これ、んまいわあ」
と言いながら、だらだら食べるのも好きだ。
こちらは気分よくなってべろべろふわふわしているのに、店員さんは冷静にもくもく料理を運んでくるあの温度差が、また好きだ。
オンラインでは決して感じられない、お店のひとつひとつの雰囲気が、今はとても愛しい。

こんなことがなければいつものように会えていたのになあ。

  ◇◇◇

9月に事態が収束することは、おそらくこの調子ではないだろうし、ひとりでビール缶を掲げて飲むのは味気ないので、ビールを飲むのはしばらくお預けにしようと思う。やっぱり通過儀礼は、誰かに見守ってほしい。

来年の夏までにはビールデビューできるだろうか。そのとき一緒にグラスをごっつんこして、「かんぱーい」って言ってくれるのは誰だろう。

飲み屋で知り合った人。
友人。
そうじゃない人。

次にビールを飲むときは、美味しく飲めるだろうか。きっと美味しく飲めるだろう。たとえ苦かったとしても、わたしにとっては、それはとても意味のあるものになるだろう。そのときはきっと今の状況がかなり落ち着いて、隣に誰かがいて、お店で安心して自由にわいわい飲んだり食べたり笑ったりできるようになった、ということなのだから。そんな日常を取り戻して、通過儀礼を無事に終えた、ということなのだから。

それまでわたしはビールを飲まない。
家でひとり、チューハイの缶をかかげ、
「かんぱーい」
と言っておつまみをつつく、そんな日々を送るのだ。
せっかくなので、この間においしいおつまみをちゃちゃっと作れるように、何回何回も練習しよう。うん、それがいい。

だからまた、元気に乾杯しよう。
わたしはそのとき、ビールを頼む。
あ、あとからあげも一緒に頼もうかな。

ありがとうございます。文章書きつづけます。