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100均の手鏡を覗いたら、今までとちょっと違う世界が見えたはなし  【その1】

今年の3月ぐらいからマスクがすっかり定着し、まるで服の1部分のようになってから、前ほど顔の表情を見られる必要がなくなったのは好都合だと思っていた。何を考えているのかあまりわからない、悟られない、という安心感。服を着て恥ずかしいところを隠すのと同じように、マスクをつけて口元を隠す。おかげで化粧もほとんど必要なくなった。色付きリップを塗る必要もなくなってしまい、自然と目にしたくないものには、目をつぶっても大したことがないのでは?と思うようになった。

そして他人も同じようにマスクをしているので、どんな表情をしているのかわからない。笑っているのもわからないけど、怒っているかどうかもよくわからない。いつも相手の表情を窺いながら作業をしているところがあったので、逆に自分の作業に集中できるようになった。

とりあえず与えられた仕事を、黙々とこなしていく。最近はスーパーのレジも自動で行うところが多くなったし、一人暮らしのわたしは日々人間と接している実感があまりしなくなっていた。人間と関わるのはなにかとトラブルがあって、苦手だし面倒だ。なのでこのままの生活で別にいいかな、と思っていた。

 ◇

確か10月の初め頃だったと思う。家にいたら、突然金木犀の香りがふわっとだたよった。今年初めて、金木犀のかおりをちゃんと嗅いだ。

ああ、なんていい香りなんだろう。

ずっとマスクをしていたからか、気付かなかった。香りに誘われるようにして、外に出た。
家は日当たりが悪く、「今日は曇りでどんよりしているなあ」と思っていたけれど、実際外に出たらそうでもなく、ちょっと晴れ間も見えている。

曇りだけど、気持ちよかった。
外にいる世界と家から見る世界、こんなに違うんだなと思った。

と同時に、なんだかこのままではやばいのではないか、と思った。何か大切なものを、どこかに落としているのではないかと。それに気づかず、このままこんな機械みたいな自分と生活で終わっていいものか、と疑問を感じるようになった。

もしかしたら、自分の中にも違う世界があるんじゃないか。
無愛想じゃない自分。暗くない自分。
いつも口の端っこだけ無理に引き上げて笑っているけど、そうじゃない、ちゃんと笑えている自分。そもそも自分ってもともとどんな顔してたんだっけ。普段マスクもしているし、あまり鏡も見ないから、よくわからなくなっていた。

…鏡を買ったら、なんか変わるかなあ。

おしゃれに無頓着なわたしは、手鏡すらもっていなかった。気づけばわたしは近くの100均に行き、手鏡を買っていた。


100均の手鏡を買う

100均の手鏡を買って、ひとり部屋の中でへらあ、と笑ってみた。いつものように、口角を無理矢理引き上げる。

ああ、バレバレな作り笑顔よ、こんにちは。

顔の口周りの筋肉が痛い。普段全然使っていない筋肉を使ったせいだ。そして目尻や口周り、ありとあらゆるところにしわができた。歳だと思うとなんか悲しくなった。いや、歳だけじゃない。

完璧に肌のお手入れを怠っていた。

乾燥する季節なのに保湿ケア?やっていない。
化粧水、乳液、基本的なケアすらできていない。
ずっとオイリー肌だったけど、なんか肌質変わったのかな?

…顔の土台、砂漠やん。肌は枯れきっていた。


歯が美しくない

笑ったときに1番最初に見えるのは、歯だ。
鏡をよくよく見ると、ちゃんと磨けているようで磨けていなかった。虫歯が怖いので、歯医者には3ヶ月に1回ぐらい、ちゃんと定期健診に行っている。歯科衛生士さんにクリーニングしてもらったあとは、「よし、磨くぞ」なんて気合いを入れて、新しい歯ブラシを買うのだけど、どうしても忙しさを言い訳に、何かをやりながらのついでに歯磨きをして、だんだん適当になってしまう。

実際手鏡を見ながら、歯ブラシをちゃんと歯にあてて丁寧に磨いてみると、結構軽い力で汚れは落ちていく。そのあとフロスをすると、口の中がキリリと引き締まった。その日の汚れはその日のうちに、ってこういうことだったんだなあ。なんか快感だった。良い運気は口の中から入ってくるような気がする。普段話す言葉も口から出てくるし。そのあとがさがさの唇に色付きリップをつけた。色鉛筆で色を塗ったみたいで、それだけで気分が変わった。

マスクをしていても、常に笑ってみる

気持ち悪いけど、マスクをしていても、いや、マスクをしているからこそ、常に笑ってみることにした。普段いつも仏頂面の人が、いきなり笑顔満開テンション高めでこられると、何かあったのかなと警戒するし、勘ぐるし、自分だったらちょっと引く。なので顔面全てが見られないマスクをつけている今だからこそできることだ、と思って、やってみることにした。

すると、全然声の通りが違うことがわかった。

いつも自分の声は小さくてくぐもって聞こえてしまうようで、相手に「え?なに?」と聞き返されることが多かった。またその聞き返しが、相手によってはちょっとキツく聞こえてしまうこともあって、それに委縮してますます「え、あの、その、あのですね……」とより小さい声になってしまうという、変な循環を繰り返していたのだ。

ああ、自分はこんな無愛想な顔で小さい声を出していたのか。そらあかんわ、直していこう、と思った。



そんなこんなで、毎日手鏡を見て過ごしていたら、1ヶ月経っていた。


…つづく


ありがとうございます。文章書きつづけます。