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長谷川家から帰ってきて【『さくら』読書感想文】


この長い小説を、1日で一気に読み終えたあと、放心状態だった。

この1日で何人もの人生を、告白を、悩みを、成長を、生死を、見届けたような気がする。

そしてひとりで声も出さずに泣いていた。

なぜだかはわからない。

「ここが良かった」とか「この場面で泣いた」とか、「この文章にぐっときた」とか、そういう言葉で表せるものじゃなくて、そんなんじゃなくて、もともと現実であまり出にくい感情が、ここであふれ出てしまった、という感じだろうか。普段小説を一気読みすることはなく、ただの娯楽なのに、読み終えたときには0時をとっくに過ぎていて、食べたあとの食器はそのままで、お風呂に入る時間もとうに過ぎていたし、それでも、この小説を読む手は止まらなかった。そんな目の前の食器とかお風呂とか歯磨きとかよりも、この小説を読み終えることのほうがこのときのわたしとっては、大事だった。

 ◇

この小説は、男とか女とか、誰が好きとか嫌いとか、大人とか子どもとか、そういう自分を、「かたちづくっているもの」は、読み手として一切関係ないし、通用しない。だからこそ、それをとっぱらった「まるごとの人間」というものを試されているような気になって、とても苦しかったし、全力で向き合わないといけなかった。
しかも、人間として普段絶対隠したいようなところにスポットを当てていて、登場人物はそこを気持ちとして様々なかたちで爆発させていくので、普段目を反らしているわたしは、時々ぎくり、とさせられたし、内部の奥深くまで探られる感覚があった。

 ◇

けれどこの小説が違うのは、「人間をえぐりとる」とかそういう表現が全くあてはまらず、決してネチネチした自分本位の意地悪ではない、というところだ。

これは…どう言ったらいいのだろう。

すごくわかり辛いかもしれないけど、カップに入ったプリンを、誰かがスプーンでカラメルソースのある底のほうからごっそり掬って、
「いやいや、きみはこういうところ(カラメルソース)もあるんだよ、これは悪いものじゃなくて、これも含めてあなた(プリン)なんだよ、美味しいから食べてみてよ」
という風な優しさが流れているのだ。

そう、自身を救うような優しさが。
例えばこの部分。

「お母さんが、生まれてきたときから持ってる魔法とな、お父さんが生まれて来たときから持ってる魔法。それをな、ひとつずつ出し合って、一緒にする」p116

自分だったらミキにどう説明するだろうと戸惑っていたのだけど、このお母さんは、カラメルソースのほろ苦い部分も悪いことではなく、おいしさも、キチンとミキに伝えたのだ。ここの部分の表現が好きで、めちゃくちゃ素敵だと思った。
その他にも、このお母さんはお兄ちゃんの彼女の矢嶋さんに「唇が息出来ひんから、カワイソウよ」と言って口紅を外させたり、恋敵であったサキコさんとすっかり仲良くなっちゃったりして、太陽みたいな明るい女性で、登場人物のなかで一番のファンになってしまった。

「嘘をつくときは、あんたらも、愛のある嘘をつきなさい。騙してやろうとか、そんな嘘やなしに、自分も苦しい、愛のある嘘をつきなさいね」p200
「あたしは今のままやったら、長谷川のこと好きなんおかしいかもしれんけど、いつかきっとそれがおかしくない時が来る。そのときのために努力する」p297


そのお母さんの恋敵のサキコさんは、愛のある嘘をつき続けてきたひとりで、それは生きていくために仕方なかったんだとしても、すごく苦しかった。「言ってはだめな好き」と、「言ってもいい好き」の区別はないはずなのに、誰かが悲しむから、それは「言ってはいけない好き」に変わるときがある。本来線引きできるようなものではないけれども、うまく生きていくためにはそうするしかない、という時もあって、納得させようとするのだけど、それがまた心を苦しめる。
それは薫さんもきっと同じで、でも薫さんは自らそれを切り啓こうとする。
上記の薫さんは、本当に格好よかった。

「恋するって、もっと動物的なものでしょ?」p253
「好きやったら、好きっていう。」p386

「恋とか愛ってなんやろう」と柄にもなく、すごく漠然と考えたのだけど、「今ごろ何してるのかなあ」とか、「あの人やったらどうしてるかなあ」とか、どういうかたちであれ、その人の顔が浮かんだり、想うということは、もうすでに愛なんじゃないか、とさえ思った。「誰かがそういえばこんなん食べたいって言ってたな、買って帰ろう」とか、「この忘れ物持っていってあげないと困るかもしれない」とか、そんな小さなことがもうすでにそうなんじゃないかって。そうすると、生まれながらに誰かを愛する権利をもっていることが、もうすごいことで、それだけでいいのかもしれない。

「生まれてきてくれて、ありがとう」p388
「恥ずかしいけれど、それが愛だよ。」p390

現実では恥ずかしくて言えないけれど、誰かにこのセリフ、言える日がくるといいなと思う。




ありがとうございます。文章書きつづけます。