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【#本棚】新型コロナウィルスが、まだまだ怖い。

私も、新型ウィルスは怖い。

ちょうどコロナが流行り出した昨年の3月頃、表紙の菊池寛が上記の文言が書かれた帯のマスクをして、本屋の目立つところでたたずんでいた。
帯をとると、鼻と口が見える。しかめ面の顔が見える。
なんとなくこの様子が面白くて、別に買う気はなかったのだけどこの本を買ってしまった。


けれど、最近同じ本屋でこの本を見かけたとき、彼はもうマスクをしていなかった。
この本屋だけかと思ったけど、他の本屋でも同様だった。
堂々と、しかめ面の顔を出している。
もうウィルスが怖くなくなったのか、それともワクチンができたからもうマスクをしなくていいと思ったのか。


「自分はイヤになった。4月も5月もになって、まだ十分に感冒の脅威から、脱け切れないと云うことが堪らなく不愉快だった。が、遉の自分も、もうマスクを付ける気はしなかった」p15


まさにこういう状態に菊池寛も陥ったのだろうか。

『マスク』の主人公は臆病者で、流行性感冒に対して万全の注意を払う。自分はもちろん、妻も女中もなるべく外出させないようにして、やむを得ない用事で外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛ける。朝夕には過酸化水素水で含嗽。外出から帰ってきてまた含嗽。新聞に出る死亡者数に一喜一憂し、咳をしている人の訪問は、ちょっと疑ったりためらったり。

…今とほぼ変わってないやないかーーい。

驚いた。100年も経ってたらもっとハイテクな魔法みたいな予防法があっても良さそうなのになあと思ったけど、そうじゃないらしい。結局地道な方法で身を守るしかない、ということかあ。マスクだって、近未来的にこう、テクノロジーが駆使されたハイテクマスクみたいなのが売り出されてても良さそうなのにね。

最後がまた興味深くて、黒いマスクを堂々とつける若い青年の登場は、周りの目を気にしていた主人公に不快感と憎悪を感じさせる。強者に対する弱者の反感とは。また同じようなことが別の形で現代にも起こるのかなあ、なんて思っている。


このコロナ禍で、人間のちょっとした、けれども深ーい本性を見てしまった人も多いと思うのだけど、同じくこの短編集では、その流行性感冒や疫病をめぐり、人間の本性が見え隠れする。(『神の如く弱し』『簡単な死去』『船医の立場』)


ヒトはどこまでいってもやっぱりヒトだし、生物なんだなあと思った。そこが怖いけど、多分、良いところでもあるんだよなあ、と思う。

うーん、でも菊池寛はまたマスク、しといた方がいいんじゃないか、と思っている。

こんな世の中なので。ね。



ありがとうございます。文章書きつづけます。