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自分の足で道を歩くことを恐るな、わたしよ【おやつ日記:5月27日〜6月2日】

5月27日(月)

昼食に某牛丼店で、炭火焼き鳥丼をテイクアウトする。

この日は珍しく混んでいて、店員のおばちゃんがひとりでホールを切り盛りしていて、忙しそう。


でもとても愛想のいいおばちゃんで、「はい次の方、すみません、もう少々お待ちくださいねー」といいながら、店内を走り回っている。

「はい、ええと、つぎ何番の方、メガ盛り牛丼のお客さまー」とおばちゃんは呼んだけれど、メガ盛り牛丼のお客さまはおらず、代わりにウーバーの配達員がいて、おばちゃんが少し混乱している。

調理を担当していた大学生ぐらいの男の子が背後から出てきて、「こっちでしょ!!」とおばちゃんを大きな声で怒った。「ったくしっかりしてくださいよ」と彼はぶつぶつ言いながら、また厨房に戻っていく。

自分の息子ぐらいの歳の子に怒られても、にこにこしながらおばちゃんが「はい、すみません」と笑顔で対応しているのを見ると、ちょっと胸がぎゅっとなった。


ひとりで店内切り盛りしながら、怒られても笑顔で対応って、やらなきゃ、と思いながらもわたしならできるだろうか。働くって大変だけど、「ああ、自分も頑張ろう、こんなふうに強くなろう」って勇気づけられた。


「このおばちゃんは絶対に仕事のできる人だ」と思って、帰り際、小さな紅生姜と七味をとるついでに、床にバラバラ落ちていたレシートをゴミ箱に捨てて帰った。



5月29日(水) ①

昼食にアジフライサンドをつくる。

これは昨日から決めていたことだった。

わたしはいつもアジフライサンドをつくるとき、有賀さんのこのレシピを参考に作っている。

ボリューミーだし、ちょうどいい感じにまんぷくになるのだ。

卵を茹でたり、昨日買ったお惣菜のアジと6枚切りの食パンをオーブントースターで焼いたり、キャベツを千切りしたりと、小さなキッチンでもりもりやることがあるけれど、これも美味しいアジフライサンドのためだ。

1枚のパンにバターとケチャップ(マスタードの代わり)をぬりぬり、それからその上にキャベツ、アジフライ、茹で卵のタルタルを丁寧にのせて、またもう1枚のパンをのせてギュッとサンド!ふふふ、美味しそう。

包丁でアジフライサンドを半分に切るとき、本当は誰かと一緒に半分こして食べられたらいいんだけどなあ、と思った。



5月29日(水)②

水曜日。落語を初めて生で聴く。

ひとり暮らしで普段口を真一文字にしていることのほうが多いので、久しぶりにこんなに思い切り笑ったような気がする。とにかく楽しくてあっという間に時間が過ぎた。

驚いたのはYouTubeや配信ではあまりよく理解できなかった古典落語が、なぜか会場ではスイスイと頭に入ってきたことだ。そしてその話の面白いこと面白いこと…!

周りを見渡せば、老若男女問わず腹を抱えて笑っている。会社帰りのサラリーマンもマダムもおじいちゃんも制服を着た中学生も。

映画館だとなんとなく声を出して笑うのに躊躇するけれど、「ここは誰も気にせず、思いっきり笑ってもいいんだ、わたしも笑っていいんだ」と思えて、心地よかった。

それはむしろ笑っていないほうが「え?どうしたの?大丈夫?」って言われそうなぐらい。そんな雰囲気があたたかい。


今はYouTubeや配信などの便利なものがあるから大抵のことは知れるし、全部知ったような気分になれる。けれど「知れる」と「体験する」は全然ちがうもの。やはり生でしか伝わらないものがある。

最後、噺家さんが丁寧なお辞儀をしたとき、全力で拍手した。

6月1日(土)

久しぶりに近くの図書館へ行って、坂村真民さんと茨木のり子さんの詩集を借りる。


両方とも背中をパシッ!!と叩かれているようなそんな詩集で、思わず図書館でピンと背筋を伸ばした。

よく考えると、自分で自分の背中をぼりぼり掻くことはできるのに、パシッと叩くことはできない。叩こうとしても、どうしてもふにゃっと皮膚をなでるようになってしまう。


だからこそ「お前、しっかりしろよ」とパシッと背中を叩いてくれる人は、とても貴重な存在だ。そして自分のことを本気で思ってくれる大切な他人なんだと、叩かれたときは気づかないけれど今になって思う。

背中を叩くとか、今なら「パワハラ!」と言われるのだろうか。けれどわたしにはパシッと背中を叩いてくれるひとがいないから、時々誰か叩いてくれないかなあ、なんて思う。

自分ひとりでなんでもできるなんて、思い上がるなよ、わたし。


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※誰かのおやつのお供になれば幸いです※


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