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わたしたちに賞味期限はない


「オバサン」

たった4文字、なのになんだこのパンチ力。
おぬし、やりおるな。
一瞬うう、とうめいて、よろけてしまう。
わたしは百均のレジ前にて、不意打ちにアッパーパンチをくらった。
…心に。

 ◇

「お次のかたどうぞ」

レジに並んでいたら、店員さんに呼ばれた。
なので行こうとしたら、たたたっと5歳ぐらいの女の子がわたしの前を通り越す。
そして言った。

「オバサン、次、あたしなんだけど!」

麦藁帽をかぶり、水色のワンピースを着て、ピンク色のかわいいおもちゃを手に持って、彼女はくりくりした目でわたしをじいっと上目遣いで睨んでいる。上目遣いだけど、5歳女児は明らかにわたしからマウントをとろうとしている。

「お次のかたどうぞ〜」

店員さんがもう一度呼んでいる。
わたしのほうを見て。

わたしのほうを見て。

そうだそうだ、わたしがどう考えても先だよ、と思い、どうしたもんかと戸惑っていたら、

「こらっ、あんた何やってんの!一番うしろに並ぶの!」

と母親らしき人が現れて、5歳女児は手を引かれ、ずるずると列の一番後ろに連行されていった。彼女の反則負けだ。

母親は、わたしとそう歳が変わらないだろうか、小さくすみません、と頭を下げる。

…そうか、わたしが君のママぐらいの年齢だったら、オバサンと呼ばれても仕方ないか、と思うけど、まだじんじん心が痛んでいる。

自分でもちょっとオバサンくさいなあと思う時は多々あるが、他人にはっきり「オバサン」と言われ慣れてはいないので、割とダメージが大きい。

◇◇◇

20代前半だったとき。

年上の先輩(当時30前だったと思う)からしきりに、
「若いからいいよね」
「もうわたしオバさんだからさ」
と自虐的に言われ、とても返答に困った。

それだけならいいのだけど、自分より年下というだけで、意味もなく意地悪をしてくる人もいて、胸糞悪かったのを覚えている。

歳をとると、人間は楽しくなくなるらしい。そんなことを薄々感じるようになり、なんだか嫌になったものだ。

こんな経験があってから、常々自虐的な自分だが、このような年齢の自虐はしない、と決めている。相手はそんなこと言われても困るだろうし、自分のためにもよくないと思ったから。

◇◇◇

歳をとることが、いかに嘆かわしく恐ろしいことか、年上の方々は聞いてもいないのにとても親切に教えてくれる。

けれど、歳をとることの楽しさを教えてくれる人はいない。

なぜだろう。

わたしは10代、20代よりよっぽど今の方が楽しい。そりゃ顔にしわは増えたし、少し体にガタを感じているけれど、それよりも生きることに少しだけ出てきた余裕が、自分を支えてくれている。10代、20代は本当に未知の世界が多くて、こんなんじゃ生きていけないと悲観し、今よりも随分頼りなかった。けれど遠回りすることが変に功を奏してか、あぁこんな時はこうすればいいのかとか、今はこういう時期なんだなとか、前にもこんなことあったな、じゃあこう考えてみたらいいのかなとか、今になってようやくわかるようになってきた。若いっていいなあと思う時もそりゃあるけれど、別に戻りたいとは思わない。(戻れないし)

ひと昔前、女性は「クリスマスケーキ」という例えられ方をして、その市場価値をはかられたみたいだけど、年齢なんてみんな時間が経てば平等にいくわけだし、その数字だけが小さいから偉いというものでもないし、その永遠でないものにいつまでもしがみついて生きるのは、とてもデンジャラス極まりない上に、楽しくないだろう。生きるなら少しでも楽しいほうがいい。

楽しむのに女も男もない、数字の年齢も関係ない、わたしは今をちゃんと生きる、楽しめる人間であり続けたい。

…とは思うが、まだまだそんな強くないし、その領域に辿り着くのは程遠い。人の目を気にしながら、今日もあれこれ悩んでいる。

◇◇◇

女児なアッパーパンチをくらったが、わたしはその痛みを隠し、立ち上がり、ニッコリ笑って「どうぞ」とリンク外にいる5歳女児に一輪の花をわたす。…心の中で。

この大人の余裕と楽しさ、おこちゃまにはまだまだわかるまい。

どうだい、へへーんだ。(めちゃ大人気ない)


ありがとうございます。文章書きつづけます。