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ランドセルじゃないとダメ?

明日は終業式。

長男りーくんも、春休みを目前に終了モードで嬉しそう。

「おかあさん、今日はリュックでいいって、先生が言ってたと思うねん」

と、持ち物をリュックに入れていた。

「そうなんだね。軽いからいいよねー」と、応える母。

この春で小3になるりーくんが入学するときに、ランドセルで通学するんだろうか?と、ふと疑問に思って学校に電話したことを思い出した。

りーくんは小柄だ。
私も小さかったし、学校がすごく遠かったからランドセルを背負っての登下校は、なかなか大変だった。

そんな思いもあって、電話してみたら返ってきた回答は
「ランドセル指定ではありませんが、皆さんランドセルです。ランドセルじゃない子はいません」だった。

へぇ、そうなんだーと思って、りーくんの気に入ったランドセルを買ったのだった。

今年の春、次男こーくんも小学生になるので、もう一つランドセルを買った。

実は、アウトドアブランドからランリュックなるものが発売されたのを知っていて、機能的で何より軽そうだったので、それを持たせたかった。

しかし、兄と同じようにランドセルを背負って学校に行きたいと、こーくんが言うので彼の気持ちを優先した。


ランドセルは、もはや日本の文化みたいな位置づけだなと思う。

新1年生の象徴みたいな感じ。

良いと思う。実際のところ丈夫に作られていて6年間使うことができるだろう。

でも、時々違和感を感じることがある。

今日「は」リュックで行ってもいいーという長男の言葉だ。


今日はたまたま小学校の送り当番の日で、私は長男と一緒に家を出た。

集合場所へ先に走っていった長男が急いで戻ってきて、私の顔を見ていった。

「やっぱり、リュックはあかんかもしれん」

集合場所に来てた子たちがみんなランドセルだったことで不安になった長男はランドセルに変えたいと言い出したのだ。

「いや、ええがな。リュックで行ったらあかんとは言われてないよ。周りに合わせなくていいよ」

思わず言ってしまった。

みんながそうしてるからーという感覚に私は敏感に反応してしまう。

かつての自分がそうで、個が埋没してしまうような感覚があるからだ。

とはいえ、長男がウルウルした眼で申し訳なさそうに言うのを見ていたら、長男が「私」と「学校」の間で揺れているようだった。

これはこれで私の価値観を押し付けてるなと感じて、もう一度家のドアを開けた。

「りーくんは自分でそうしたいと思ったのよね?」

と、戻ってきた長男にちょっと意地悪に言ってしまったが、なーんかスッキリしない朝だった。

「ランドセルじゃないとあかん?」
「今日はリュックで行っていい?」

どっちでもいいよね!ーと、小学生にもなったら、それぐらいは個人の判断に委ねてほしい。


学校から帰ってきた長男にランドセルじゃない子がいたか聞いてみたら、

「ランドセルじゃない子、いたー!
雨降ってたけど傘がなかったから、粘土板を頭に乗せて帰ってきたわー。
友達にあったまいいなーって言われたー❤️」と長男。

ま、長男にとっては取るに足らないことのようだ。

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