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丁寧な暮らしについて考える

「丁寧な暮らし」
住宅、雑貨、家具などの広告でたまに見かける言葉だ。
当たり前だが丁寧な暮らしに定義はない。

丁寧な暮らしとは何だろうか?

雑誌や広告で見かけるこの言葉にはどこかオシャレな印象を抱いてしまいますが、丁寧な暮らし=オシャレな暮らしではないと思う。

かといってミニマリストのような物のない暮らしもやや違うと思う。

整理整頓された空間はでしょうか?
テーブルの上にはオシャレな小物や美しい花が飾られている。キッチンもきれい。清潔感はあるが生活感はない。まるでモデルルームのような家。

これも違う気がします。

丁寧という言葉は、「細かい部分に注意や気配りが行き届いているさま」、「入念に丹精込めて行うさま」という意味があるようですが、私は時間やモノ、コトを大切にすることだと思います。

そう考えると別にきれいさっぱりな状態でなくてもいいのです。

私が強く惹かれる暮らしのシーンは別に整理整頓されていないことが多いです。ただ、ずっとともに時間を過ごしてきたような手入れされた家具、シミなどがあるが決して不潔ではない床材、雑然としているが本人にとって使いやすい配置の机の上など。

住まい手が今までずっと大切にしてきたんだなと感じられるシーンです。

丁寧な暮らしは作ることができるのか?

大切にするにはそれを大切にしたいという想いがないといけません。
丁寧な暮らしと検索すると、共通のイメージのような写真が何枚もネットで表示されますが、形だけまねても必ず雑然として悲しいことになります。

大切にしたいという想いは愛着です。
愛着は初めからある場合もあるし、時間の経過とともに愛着がわく場合があります。
前者の場合は、その人の好きなものであること、必要性が高いことが多いです。後者の場合は、長い時間をかけて使ったり過ごしたりする必要があるため、そのものが時間の流れに耐えられることが必要になります。

時間はそのもの自体に経年変化を与え、周辺環境の変化から必要性が変わっていきます。こうした変化に対応するには、柔軟さを持つことが必要です。(私の事務所名のユルリには、そういった柔らかさをもちたいという意味が込められています。)

具体的には、丈夫である、修理できる、多様性があるなどです。長持ちし、必要に応じて修理できる。そして単一の用途だけでなく複数の用途に使える(環境が変わり一つの用途が不要でも他が使える)ということです。これはちょっとしたテクニックがありますがそれは今度にします。

改めて丁寧な暮らしを考える

私は住宅の設計をしています。
だからこそ、「暮らし」について日常的に考えます。

暮らし方に正解はありません。だから丁寧な暮らしにも決まったスタイルや正解なんてないんです。

結局は暮らしって自分の時間をどこでどう過ごしたかってことなので、自分の理想とする暮らしは今まで過ごしてきた生活にヒントがあるのだと思います。
これがよかった!という明確な答えでなくても、これが嫌だったとかでもいいと思います。




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