マガジンのカバー画像

Photalk

51
写真に対するスタンス表明
運営しているクリエイター

#広島

テーブルフォトと、心の奥底

仕事で人の写真ばかり撮っていたら、無性にテーブルフォト的なものが撮りたくなった。幸いなことに部屋は白壁、窓は磨りガラスなので自分好みの柔らかい光になり、ちょうど良い高さの棚もある。 という訳で。「いつもと違うことがしたい!!」という心の叫びに従って、自室の窓際にミニスタジオを作ってみた。 被写体は、おやつの米粉ブラウニー。三越地下に入っているyou-ichiというスイーツショップのスペースが拡大して、色んな美味しそうなブラウニーが売っていたのだ。個人的には塩クルミが最高…

ノープラン、ノールック、ノーチェック

カメラって本当に、面白い玩具だと思う。 使い方次第で、色んな遊び方が出来るところが好きだ。この春は、タイトルにつけた「ノープラン、ノールック、ノーチェック」という遊び方をしていた。 まずはノープラン。 「これを撮る」と決めて、どこかに行ったりはしない。仕事先から家に帰るまでの地元の道程を、観光客になった気分でぷらぷらしながら気ままにシャッターを切る。とっても気軽だ。 それから、ノールック。 これは言葉通り、ファインダーを覗かない。もちろんライブビュー画面にもしない。ただ

カメラと、写真と、春の宮島 - 後編

"写真で大切にしていること"というのは、わりあいに変化するものだ。 私的流行、とでも言えばいいのだろうか?短いスパンではそうでもないけれど、年単位で見てみると…構図だったり、光だったり、色味だったり。その時なりのこだわりがある。 今の自分で言うなら、「あ!を大切に」というのがそれだ。 ふと視線を向けた時に自分の中で「あ」と響くものがあれば、迷わずシャッターを切ってみる。他人から見れば何でもない風景だろう、パッと映える絵面ではない…そんな思考の説教臭い声は無視して、とりあ

カメラと、写真と、春の宮島 - 前編

ふと思い立って、春の宮島でふらりと夫婦で花見を楽しんできた。 いや、花見にかこつけたカメラ散歩といった方が正しいのかもしれない。 ここしばらくは仕事で撮影するばかりだったのだけれど、ひさびさにプライベートで重たい一眼レフを首からぶら下げて外に出た気がする。 昨年、紅葉の時期に「感覚で撮る、頭で撮る」でも書いたのだけれど… 桜や紅葉のようなベタな被写体には「人とは違う、自分らしい写真を撮らなくては…」という、無意識のノルマを課していたせいで。楽しいというより面倒と感じ

感覚で撮る、頭で撮る

この秋は、めちゃくちゃ紅葉を見た。 といっても、別にどこかへ行楽に出かけたわけではなくて。撮影繁忙期の七五三シーズンということで、そのついでだ。七五三定番の厳島神社がある宮島や護国神社側の広島城は、同時に紅葉の名所でもある。 以前は、紅葉の写真を撮りたいとはあまり思わなかった。どう撮っても似たり寄ったりになってしまうから、面白みがない…そうならない為にひねりを入れるのも面倒くさい。そこまでして紅葉写真なんて撮らなくてもいいや、そんな風に思っていたのだけれど。 今年は首元

記憶の小径、愛の行方(仮題)

今年は夏前に、生まれて初めての作品展的なものをやろうと思っている。 これまで写真サークルでの、ゆるい雰囲気のグループ展はやったことがあったけれど…個展というの初めてだ。というか、個展というほどに大げさなものではない。「壁にL判プリントをペタペタと貼り付けて、ご自身や家族の写っているものは自由に持って帰っていただける」という、これまで撮影いただいたお客様たちに楽しんでいただけるような展示をメインにやりたいと考えている。 そこに加えて、「これまで趣味で撮ってきた風景の写真も展

撮影のお手伝いをした時の話

そういえばもう随分前になるけれど、広告撮影をするカメラマンさんのお手伝いをしたことがある。 とはいっても撮影に纏わる部分では無くて、使いっ走り的なアシスタントだ。商業施設のチラシ制作の為の撮影だったから、各店舗から商品や料理を借りて返して…をしながら横目でチラチラと撮影を見ていた。 顧客や撮影対象が違うと、撮影スタイルも全く違うもので。まず持ち込みの機材がすごい。三脚は10本くらいあるし、光源は最大5灯、ディフューザーも数種類準備してあった。その他にもレフ板やテープ、バッ

来てみんさい、広島へ 9 <福山はバラの街>

仕事で福山市へ行ってきた。 同じ広島県内の都市なのだけれど岡山県と隣接しているので、山口県寄りの広島市内からは意外と距離がある。2つの間には「呉市・竹原市・三原市・尾道市」といくつもの市がまたがっているのだ。 その福山市は、バラの街である。駅前の植え込みにも、道路脇の花壇にもバラの花が植えられている。市の花はバラだし、100種類以上のバラが植えられているばら公園というものも存在する。 これは1956年に「太平洋戦争で荒廃した街に潤いを…」と、住民がバラの苗木約1000本

写真の話、イルミネーションと子供

昨年は何度か"ひろしまドリミネーション"と呼ばれる、平和大通りで行われているイルミネーションでの撮影機会があった。 しかし実はイルミネーションと人、どちらも綺麗に撮るのはなかなか難しい。 写真を撮らない人は「目ではこれだけ見えているんだから、撮るのもできるのでは?」と考えるようだけれども、そんなことは全くない。人間の目は超高性能!高機能!機械であるカメラとは比べものにならないくらいにハイスペックだということを知って欲しい。「見たままに撮る」というのは、実はわりと難しいこと

わたしが見た、あなたの世界は

出張撮影、というのは。 誰かの人生のある瞬間だけ、ひょいっとお邪魔させていただくお仕事だ。 だから自分の子供もいないというのに。卒園式やら入学式の参列経験があったり、七五三のご祈祷を体験したりしている。 他にも結婚前の両家の顔合わせに立ち会ってドキドキしたり… 運動会では子供を追って校庭中を必死で走り回ったり… お宮参りに同行して、赤ん坊の小さな手にきゅーんとしたり…   こうやって人生の節目…それも幸福成分を多く含むような場に、部外者ながらひょっこり顔を出している

Not 桜日和 ~桜と写真とカメラの話~

今年の春は、どうにも桜に優しくない。 梅雨みたいに曇りと雨の日が続いて、風も強い。 よく晴れた青空の日、桜の下でお弁当を食べている。 柔らかな風が吹いたかと思うと、ひらひらと唐揚げの上に花びらが落ちてきた…みたいなシチュエーションは、どうやら今年は望めないらしい。 ただ桜写真を撮る、という楽しみが損なわれたわけではない。 晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日なりの良さと楽しみがある。 昨日のお天気は、曇り時々小雨。 そしてこの辺りには珍しく、霧が出ていた。 いつも

写真には日常を、幸福を

これは人物写真、特にご家族での撮影に限った話なんだけれども。 "幸福の気配のある写真"を撮るのが好きだ。 それはおそらく家族写真というものが、"見返す"ことを前提にして撮るものだからだと思う。 例えば5年後10年後に撮った写真を見返した時。 その情景が物凄く幸せそうに見えたとしたら… 実際その時は結構大変だったり、しんどい思いが続いてたりしていても。 「あの時はあれはあれで、幸福だったのかもしれないな」 って思えるんじゃないかなって。 人間には、思い出補正という優しさ

「好きなものに自覚的だね」

「他人と写真を撮る意味」から続いています。   今回の撮影を通して気づいたことは、街撮りにはあまり興味がないということ。LikeはあるけどLoveがない、熱量不足。グラフィカルな写真、目に付いた面白いもの。そういうのって、どうやら自分にとってはわざわざ撮る対象ではないらしい。(人の撮ったのを見るぶんには、面白い)  ノスタルジックだったり、身に付けるものの色使い、  植物などの生の要素を感じられるもの、生活の気配。 そういう人に近い、よりウエットなものに惹かれている。無