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写真に対するスタンス表明
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#一眼レフ

小さな非日常、秋の日はカメラ日和

仕事柄、一眼レフを持って外に出ることは多いのだけれども…大好きな人物写真を仕事という名目で好きなだけ撮れるという贅沢な環境にあるせいか、趣味で写真を撮る機会はめっきり減ってしまった。 でも、そんな自分がやたらシャッターを切ってしまう時期がある。秋の紅葉が進み、街が色づいてくる頃。普段は気にもとめない馴染みの風景が、やたら魅力的に見えてくる頃。この時期は、撮影が終わって閉じたはずのカメラキャップを気がつけば外していて。 華やかに彩られて普段よりちょっぴりグレードアップされた

ノープラン、ノールック、ノーチェック

カメラって本当に、面白い玩具だと思う。 使い方次第で、色んな遊び方が出来るところが好きだ。この春は、タイトルにつけた「ノープラン、ノールック、ノーチェック」という遊び方をしていた。 まずはノープラン。 「これを撮る」と決めて、どこかに行ったりはしない。仕事先から家に帰るまでの地元の道程を、観光客になった気分でぷらぷらしながら気ままにシャッターを切る。とっても気軽だ。 それから、ノールック。 これは言葉通り、ファインダーを覗かない。もちろんライブビュー画面にもしない。ただ

カメラと、写真と、春の宮島 - 後編

"写真で大切にしていること"というのは、わりあいに変化するものだ。 私的流行、とでも言えばいいのだろうか?短いスパンではそうでもないけれど、年単位で見てみると…構図だったり、光だったり、色味だったり。その時なりのこだわりがある。 今の自分で言うなら、「あ!を大切に」というのがそれだ。 ふと視線を向けた時に自分の中で「あ」と響くものがあれば、迷わずシャッターを切ってみる。他人から見れば何でもない風景だろう、パッと映える絵面ではない…そんな思考の説教臭い声は無視して、とりあ

感覚で撮る、頭で撮る

この秋は、めちゃくちゃ紅葉を見た。 といっても、別にどこかへ行楽に出かけたわけではなくて。撮影繁忙期の七五三シーズンということで、そのついでだ。七五三定番の厳島神社がある宮島や護国神社側の広島城は、同時に紅葉の名所でもある。 以前は、紅葉の写真を撮りたいとはあまり思わなかった。どう撮っても似たり寄ったりになってしまうから、面白みがない…そうならない為にひねりを入れるのも面倒くさい。そこまでして紅葉写真なんて撮らなくてもいいや、そんな風に思っていたのだけれど。 今年は首元

同じであって、同じではいられない

写真を撮っていて、自分の中で流行を感じたことは無いだろうか? 世間での流行スタイルとは全く関係なく、「お!今は自分の中ではこれが流行ってるんだな」と撮りながら思うことがある。 ある時はふんわりハイキーに撮ることが、ある時は日の丸構図でも格好良く撮ることが、ある時は縦構図が…とその時々で内容は違うのだけれど。その時の気分にハマる何かに、ふと気づくことがある。 先日写真を撮っていた時に、ひさびさにその感覚に気がついた。どうやら今の自分は、構図の取り方に少し思うところがあるら

来てみんさい、広島へ 9 <福山はバラの街>

仕事で福山市へ行ってきた。 同じ広島県内の都市なのだけれど岡山県と隣接しているので、山口県寄りの広島市内からは意外と距離がある。2つの間には「呉市・竹原市・三原市・尾道市」といくつもの市がまたがっているのだ。 その福山市は、バラの街である。駅前の植え込みにも、道路脇の花壇にもバラの花が植えられている。市の花はバラだし、100種類以上のバラが植えられているばら公園というものも存在する。 これは1956年に「太平洋戦争で荒廃した街に潤いを…」と、住民がバラの苗木約1000本

写真のあなたが見せる顔

人の撮影をしていて面白いな、と思う事の1つが。 ちょっとしたことで、ガラッと変化が起こる事かもしれない。 同じ相手を撮っているのに、印象がくるくると変わるのが面白い。 例えば、着るもの。 ジャケットの色が違うだけで、イメージも変わる。 柔らかなベージュのジャケットは、キリッとした黒よりも 女性らしい華やかさが強調される。 それから髪型もだ。 イベントなどで、ヘアメイクが入るとその効果がよくわかる。 ふんわりかわいらしく、と軽く巻いた髪型と控えめなメイクに… ロッ

写真が楽しくなかった頃

「人として」写真を撮るということについて書かれた文章を読んで。 ああ、となんだか腑に落ちた気分になった。 もう随分と昔の事になるのだけれど、写真が全然楽しくない時期があって。 何を撮っても、なかなかピンとこなくて。 何を撮りたいのかも、よくわからなくなっていて。 迷ってるなぁ、って自分でも感じていた。 今なら、その理由がわかる。 自分の為に、自分の心の為に撮っていなかったからだ。 写真教室での課題の為に、人に見せる為に。 あの時期は確か、そういう意識でシャッターを切

物撮りは、Don't think, feel. 方式で

物撮りって、人物を撮るのとはまた違った視点が必要とされるので… どちらかというと、苦手だなぁって感じていたりします。 もちろん、テーブルフォトの本に目を通したり。 他人の素敵な写真など、意識してみるようにはしているけれど。 「こう撮って欲しい」ではなくて。 「お任せするから、あなたのセンスで素敵に撮って欲しい」なんて。 そんな風に言われて、「はいはい、どうぞお任せあれ!」と スッパリ言い切れる程には…なかなか自信が持てないわけです。 でも、そう頼まれたからには頑張りた

Not 桜日和 ~桜と写真とカメラの話~

今年の春は、どうにも桜に優しくない。 梅雨みたいに曇りと雨の日が続いて、風も強い。 よく晴れた青空の日、桜の下でお弁当を食べている。 柔らかな風が吹いたかと思うと、ひらひらと唐揚げの上に花びらが落ちてきた…みたいなシチュエーションは、どうやら今年は望めないらしい。 ただ桜写真を撮る、という楽しみが損なわれたわけではない。 晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日なりの良さと楽しみがある。 昨日のお天気は、曇り時々小雨。 そしてこの辺りには珍しく、霧が出ていた。 いつも

良い写真、愛せる写真

"良い写真"という言葉には、少し苦手意識があるかもしれない。 その意味の幅広さに、自分の足元がおぼつかない気持ちになるからだろうか? 他人の"良い"は、自分の"良い"とは必ずしも一致しなくて。 それどころか良し悪しというのは、その定義によっていとも簡単に変わる。 そんな不安定さを持つ言葉だからこそ。 他人の口から出る"良い写真"は何を指すか、とても曖昧で。 その言葉にもたらされる、「相手の規範に合わせなければ」という意識と「自分の感覚を貫きたい」という思いとの葛藤が。ち

写真沼に、片足を突っ込んで

写真って、その入り口に立った時に考えていた以上にずっと… 底なし沼みたいな趣味だった。 まず、道具がいる。知識がいる。 この時点で、すでに膨大な情報が目の前に山積みで。 それらをあれやこれやとつまみ食いしながら、先を進んでいると。 今度は自分と向き合うことを要求される、という段階に入る。 何が撮りたいのか、どう撮りたいのか、良い写真とは何か。 撮れば楽しい、では終われなくなってくるのがこの辺り。 そろそろ撮った写真が溜まってきたぞ。 ブックにまとめよう、写真展をしよう

ハレの日ではなく、日常こそを

昨年夏に、母が急死して。 母の写真を撮っておかなかったことを、非常に後悔した。 後悔についての詳細は、はてなBlogに書いたのでここでは省くけれど… (参照:「母の写真」 http://photalk.hatenablog.com/entry/2017/02/01/120100 ) 撮られるのが好きではない人だったというのもあって。 ここ10年の写真なんて、結婚式や同窓会や旅先でカメラに向かってニッコリした写真しか見当たらない。 まぁそれでも。面影を偲ぶのに不足という程

例えば、ジャイアンとのび太のように

今日のテーマは、"文章の力"と"写真の力"。 先日のワークショップの中で、「文章では表現できない、写真の力」というフレーズを先生の口から幾度も耳にした。 正確ではないかもしれないけれど、こういった趣旨を語られていたように記憶している。 言われてみれば、その通りだと思える。 しかし自分は今までこの事について、深く考えた事がなかったような気がする。ということで、この話について少し自分なりに考えてみた。 ---------- まず自分にとっては、言葉とは写真以上に魅力を感