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これからの教育はオーケストラスタイルでいこう!個を輝かせる教育へチェンジ!

「滅私奉公」「一致団結」「集団行動」・・・

日本には、数々の集団を重んじる言葉がある。

資源の乏しい日本が、苦しい戦争を経験し、先進国まで登りつめたその背景には、このような、お国への奉仕!集団への自己犠牲!という精神があったのだろう。

しかし、このような自己犠牲の精神が、現代の生きづらさを生んでいることも忘れてはいけない。

こんなに豊かになったのにも関わらず、自殺者は後をたたず、学校現場では、いじめ、不登校、校内暴力といった問題が噴出している。

つまり、時代と今までのやり方とにミスマッチが生じているということだ。


決して、集団を重んじること自体を否定するつもりはないが、その裏には個を押し殺すという負の側面があるのを忘れてはいけない。

では、これからの時代はどうしたらいいのだろうか?

そのことについて、これから綴っていきたいと思う。


ーーー


最初に、少しボクの体験をお話しさせていただきたい。

ボクは、小学2年生の時から高校生まで野球に精を出してきた。

その経験から言えることは、まさに、野球はこの集団を重んじるスタイルをよく象徴するスポーツだということだ。

野球部を経験した人なら分かると思うが、一糸乱れぬ歩幅で行われるランニングから始まり、かけ声を合わせながら行う準備体操、集団ノックなどなど、野球の練習は集団練習が基本だ。

プロのレベルにまでいけば話は別だろうが、個人練習の時間は極めて少ないといえる。

見た目においても、みんな坊主頭というように個性を殺すように教育される感がある。

まるで、戦争に駆り出される少年兵のようだ・・・。

上(監督・コーチ・先輩)からの命令は絶対であり、攻撃も守備も監督から出されるサインにしたがってプレーするようしつけられてきた。将棋の駒の如く。

まぁ連携プレー、繋ぐ野球というようにチーム一丸となることが勝敗を分けるスポーツであるという特質上、仕方のないことなのかもしれない。

当時のボクは、そう考えていたが、どこか息苦しさを感じていたのも正直な気持ちだった。


そして、大人になり、ボクは小学校の先生となった。

学校教育も野球で感じていた風土ととても似ていた。

「集団に同調すること」「トップ(先生)の意見が絶対であること」が前面に押し出されていた。

「団結しよう」「協力しよう」というスローガンがいたるところで使われていた。

「先生のいうことは素直に聞くもの」という文化が骨身にまで浸透していた。

野球教育で育ったボクにとっては、ごく普通のことであったが、先生という仕事も野球部時代同様に息苦しさを抱えていた。

息苦しさを感じてしまう自分が悪い・・・組織に順応しなければ!と自分の気持ちを押し殺しながら働いていたのを今でも覚えている。


そんなボクを変えてくれたのは、妻の生き方だった。

妻は、大学までピアノ一筋で生きてきた人間だ。

つまり、ボクが経験してきた集団スポーツとは程遠い環境で育ってきたのだ。


そんな妻の生き方は、ボクとは対照的だった。

✔︎人と比べず、自分のペースを大切にする
✔︎集団の価値観よりも自分の価値観を重んじる
✔︎自分の生き方を貫き、周りに左右されない

まさに、「集団より個(自分)」といった生き方をしていた。

だからといって、社会とうまくやれていないかというとそんなことは決してなかった。むしろ、うまくやっている方だと思う。


そんな、妻の生き方からボクは次のことを学んだ。

協調生とは
「個を殺して周りに合わせること(個<集団)」ではなく
「それぞれの個を大切にしながら協力すること(個>集団)」

ということを!

つまり、

個があってこその集団

なのだ!


まさに、それを象徴しているのが「オーケストラ」だった。

妻の話では、オーケストラの人たちは、個を磨くことに全身全霊をかけているという。それに比べると、全体で合わせる練習はほんの少しだそうだ。

つまり、「個を高めているからこそ、周りの人と協力して演奏することができる」ということだった。

確かに、よくよく考えてみれば、個が育っていないのに周りに合わせるなんて高度なことができるはずないのだ・・・。

そんな、当たり前のことに気づかなかった自分が情けなく思えた。


もう一つ、オーケストラの話で大切だと感じたのが、指揮者の存在だ。

妻いわく、指揮者はそれぞれの個を引き出すのが得意であり、その個性たちを絶妙に調和させることができるという。

ボクは、このオーケストラの話を聞いたとき、「これだ!」と感じた。

先生や監督・コーチと呼ばれるような人は、指揮者であるべきだったのだ!「個性を殺して同調させる」のは教育でもなんでもなかった。

本物の教育者は

「個性を引き出し、それぞれの個性を調和させるプロ」

であるべきなのだ!

この事実を知ったとき、ボクの中にあった、息苦しさの原因が分かったような気がした。

個があっての集団!
それぞれの個が輝いて初めて集団が輝く!

このことを教育者は決して忘れてはいけない!

それが、これからの教育のスタンダードとなることを願っている。


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

良い一日を!

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