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出る杭が打たれ続ける理由は学校教育にあり?

「出る杭は打たれる」

諺の中でもかなりポピュラーなこの言葉

あなたも何度も耳にしたことがあるのではないでしょうか。


そんな、有名な「出る杭は打たれる」という諺ですが、改めて意味を定義しておくと

1 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2 さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。
引用:goo辞書

となります。

あなたは、この「出る杭は打たれる」の意味を再確認してどう感じたでしょうか?

ボクは、この諺がポピュラーとなっているこの日本文化に危機感すら覚えました。

今まで、どれだけの才能のある人々が、この「出る杭」として扱われ、完膚なきまでに叩かれてきたことでしょう。どれだけの才能の芽が理不尽に踏み潰されてきたことでしょう。

これは、国にとってもハンマーでボコボコに殴られるほどの大きな損失だといえます。

確かに、長い歴史の中では、周りに同調することが大切だった時代もあったのはわかります。

個としては弱い人間という生物にとって、一致団結して行動することは生死を分けるほどの重要事項だったのでしょう。それ故「輪を乱すような行動は排除すべし」という本能がプログラムされていることも重々承知です。


しかし、グローバル化を迎え10年以上が経過している、2021年においても、この諺が健在なのはヤバイ!と感じるわけです。

5Gの時代にまだポケベル使ってんの!というくらい時代錯誤です!


では、なぜ未だに「出る杭は打たれる」という諺が健在なのか。

その理由の多くは、「学校教育」にあるといえるでしょう

12年間という時間を現場で働いていたボクは、そのことを心底感じていました。

みんなで同じ内容を、同じ方法で、同じペースで授業を受けさせる
教室移動、体育の準備体操などでは、一糸乱れず整列することを強要する
運動会では、戦前か!と目を疑うような集団行動を叩き込む
様々な場面で連帯責任!連帯責任!という言葉が飛び交う
・・・

とにかく、学校教育では、個より遥かに集団行動が重要視されるのです。


トップ(先生)からの指示は絶対であり、従わない者は罰を受ける・・・

何をするにも「先生○○していいですか?」と許可をとる・・・

そんなことが、当たり前のように繰り返される教育現場。

「え!ここは監獄でしたっけ・・・?」と管理職に質問しようかと思ったほどでした。

教育者になろうとしたのに、気付いたら看守になっていた・・・というのが正直な感想です。

ボクのように、この空気感に耐えられず学校現場を離れていく先生も数多くいます。何度も、この現状を変えようと頑張り散っていった先生も見てきました。

今なお、体を張って現状打破しようと頑張り続けている先生もいます!

このことは忘れてはいけませんね。


少し脱線したので、話を戻しましょう。

そんな教育を受けた子どもたちの中には

「勝手なことをしてはいけない」
「周りに合わせることが大切だ」
「目立っちゃいけない」
「自由にふる舞うのは自分勝手だ」

という概念が育ちます。


つまり、「出る杭は悪いもの」という価値観が知らず知らずのうちに醸成されていっているのです。

そんな教育(洗脳?)を受けて育った子どもたちが、大人になったらそりゃ出る杭をバンバン叩くよね・・・と思うわけで。


つまり、何が言いたいかというと、子どもの価値観を育てる根幹ともいえる学校教育が変わらなければ、いつまで経っても出る杭は打たれ続ける!ということです。


もう、時代は大きく変わったのです。

これからは、みんなが出る杭になれる社会が求められているのです。

学校教育は「今までやってきたから」という言葉の上にあぐらをかいている場合ではありません!「個性より集団意識を!」なんて粘土板に刻まれているような陳腐化された言葉を叫んでいる場合ではありません!


これからは

「出る杭を磨いて輝かせる!」
「出る杭を下から押し上げ、もっと出させる!」

そんな、教育者が求められるのです。


その為にも、個別最適化した教育環境が必要なのです!


さぁ学校教育よ!勇気を出して変化していこうじゃないか!


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

良い一日を!

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