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今の教育現場にこそ、若い人の力が必要な理由!常識・慣習・伝統をぶち壊せ!

「常識」「慣習」「伝統」

このような言葉の中にはプラスなイメージもマイナスなイメージもある。

ボクの個人的な感情としては、あまり好きではない印象だ。

理由としては、「常識だから」「当たり前だから」といった言葉、慣習や伝統として行われているものの中には、その本質を見失っているものが多く存在しているからだ。

特に、ボクが12年間勤めてきた学校という場所はまさにそのような「常識」「慣習」「伝統」の落とし穴にハマっている場所だと感じていた。

画一一斉授業をはじめ、宿題、運動会などの行事、様々なところに「なぜそれをするのか」といった物事を始める前に絶対に必要な問いを忘れ去り、無思考に行われ続けている。

本当に必要なの?
絶対にそれをしなければいけないの?
やる価値はあるの?

という話から入ることはまずない。

確かに、ベテランにとっては、変化は怖いものであり、今まで通りがやりやすいのはわかる。

しかし、その常識、慣習、伝統の上にあぐらをかきつづけている限り、変化は生まれず時代に取り残されていくだけだ。


そんな凝り固まった組織に欠かせないのが

若い人の感覚

だとボクは感じている。

先日、ボクはこんなツイートをした。

そう、若い人の感覚こそ、この錆び付いて全くもって機能しない「常識」「慣習」「伝統」をぶち壊してくれるのだ。


若い人の感覚はより時代にマッチしている。

「なぜそれをするの?」「何の意味があるの?」という特効薬を「常識」「慣習」「伝統」にまみれた組織に投与してくれる。


それなのに、今の学校文化はそんな若手がもっている特効薬すら使いこなせていないのが現状だ。

その理由は、完全なピラミット構造にある。

下位層として位置付けられる若手の意見は、組織に変化をもたらす上層まで届かない。

そんな環境に長く身をおいていると、いつしか若手自身も「常識」「慣習」「伝統」という毒が周り、せっかく持っていた「なぜ?」という特効薬も塵と化して消えていく。

社会であれば、そんな変化に弱い組織は一瞬にして灰になるのが落ちなのだが、公教育は社会から分断され守られている。何の努力をしなくてもお客(児童・生徒)はやってくる。

なので、変化しようと努力する必要がないのだ。

これでは、教育先進国に比べて日本の教育が3周遅れと言われてしまっても無理はない。


一方、サドベリースクールを始めとした、デモクラティックスクールでは、若手どころか、子どもの意見も中核においている。

教育の質が違ってくるのも必然といえるだろう。


せめて、組織として進化していくためにも

若手の力はどんどん取り入れていこう!
上のいる者は、意識的に若手の声を汲んでいこう!
若手の声を汲み取るシステムを構築しよう!

すぐそこに、組織を進化させる金脈が埋まっているのに掘らないのはもったいない。

若手もベテランに遠慮することなく、自信をもって声を届けていこう。あなたにしか持っていないものが必ずある。


ベテランの良さと、若手の良さが「いいね!いいね!」と混ざりあえば、きっとそこには素晴らしい教育が生まれる。子どもがイキイキと成長できる場が生まれる。


そんなことを思いながらこの記事を綴らせてもらった。将来的には、ボクも若手の力を存分に活かせる教育現場をつくっていきたいと考えている。

みんなで力を合わせればきっとできる!


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

良い一日を!

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