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アートな恐怖もあると思う

昨日は笑いと恐怖について書いてみたんだけど、おしまいに「ホラーはサービス業だ」と書いた。

ホラー映画でも、ゲームでも、ジェットコースターでも、お化け屋敷でもなんでもそうだとおもう。客を怖がらせるために作り手は四苦八苦している。こっちからどひゃーっと来ると見せかけて、あっちからどひゃーっときたりして、あの手この手でタイヘンである。

「これで怖がらないのは、客にセンスが足りないからだ」などとは言わない。ジェットコースターがねじれながら回転しても怖がらない人は恐怖のセンスがないのではなくて勇敢な人であり、むしろほめたたえられるべきである。

しかし、つらつら考えていくに、例外もあるな~、とあとで思いなおした。つまり、芸術的な恐怖も存在するとおもう。「狂気」というやつだ。サイコホラーの延長上には、サービス業に納まらない世界が開けているかもしれない。狂気は人間心理の深層に関わるので、つきつめるとアートと紙一重になっていく場合がある。

古くは、エドガー・アラン・ポーがそうだし、デイヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』なんか十分に怖い。

でも、お笑いを突きつめた先にあるのも、やはり狂気のような気がするのでびみょーだな~。リンチの『ツインピークス』は怖いけど、途中でグロテスクな笑いに変わっていくところがある。

それはともかく、みなさんご承知の通り、怪談の世界にはおおまかなトレンドというものがある。2010年代後半はもっぱら「事故物件」だった。

2010年公開の『パラノーマルアクティビティ』あたりから始まったのかな~。加えて、心霊スポットが立ち入り禁止になったり、建て替えられたりして減少傾向にあり、ロケに困っているという事情がかさなって事故物件が好まれたのではないだろうか。

「事故物件」の前は「泣ける怪談」が流行っていた時期がある。そして、さらにその前にはサイコホラーが流行っていた。『ソウ』 (SAW)などが代表だろうか。

日本の実話怪談系から出たサイコホラーの第一人者として挙げられるのは、やはり平山夢明氏だろう。世の中に怪談に詳しい人などいくらでもいるし、ぼくなど詳しいとは言えないんだけど、とはいえ一時期、西洋文学を生業にしていたこともあるので思い切って言わせてもらおう。はじめて平山氏の作品に接したとき「この人はビッグ・リーグに上がるな」と確信した。

日本怪談文学というマイナーリーグから、日本文学というビッグリーグに上がるだろうと思った。

実際、平山氏はかなり前に実話怪談からは足を洗って創作一本で数々の賞を取っておられる。だが、そのまえに実話怪談の世界でも独自の境地を開いている。

稲川淳二さんに代表される実話怪談の基本形は、ごくふつうの人「Aさん」が、まったくふつうでない怪現象にとつじょ巻き込まれるというパターンだ。ふつうの人がふつうでない世界に巻きこまれるのである。

だが平山作品は違う。そもそも主人公が奇人変人であることが多い。その時点で十分にたのしめる。その奇人変人ががさらに狂った世界に翻弄されていくので、一粒で二度おいしいグリコのキャラメルのような濃縮された味わいがある。

たとえば『怖い本』シリーズ全9巻のうち第2巻の第31話「アレルギー」をとりあげてみよう。僕の好きな作品だ。わずか2ページなので全部抜き書きするのもわけはないが、それをやるとマズい気がするので出だしの3行だけ抜き出してみる。

  子供の頃は誰でも、どうしようもないイタズラをするものである。私の場合は稲荷神社の狐の像と榊を納めた瓶などを家の裏で叩き割って、翌日、タクシーにはねられたりした。
  原田は馬鹿だった。
  彼は昔から、屋台のおでん屋のなべに泥をぶちこんで逃げたり……

と続いていくわけだが、この原田という幼なじみがとんでもない馬鹿者で、寺の卒塔婆を盗んで他人の家の台所やお風呂場に投げ込むのが趣味だったのだそうだ。その結果、祟りにとりつかれるんだけど、読んだら忘れられないほどバカバカしい話である。ぜひ実際に読んでみてください。

それはともかく、本題に入る前のわずか1文で、平山少年は稲荷神社の狐の像と榊の瓶を叩き割ってタクシーにはねられている。

すごいスピード感である。全編がこの調子なので、脳内麻薬がドバドバ出る。



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