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スクリーンショット1枚でも人を恨むのはきもちがわるい

ちょっとSFっぽい発想をしてみたい。いまは2021年ではなく2019年だ。あなたは野比のび太である。手元にはドラえもんに借りたタイムマシンがある。それで2020年をのぞきにいってみたところ、世界中で感染爆発が起こっていた。

ふたたび2019年に戻ってくると、だれも感染症のことなど心配していない。あなたが「ちょっと心配したほうがいいのでは?」というツイートを入れると「バカバカしい。感染爆発などおこるわけがない」という反論が返ってくる。しかも相手は大学教授で、感染爆発という発想がいかに非現実的かを理路整然と説明してくれた。

この場合、いくら教授の高邁なご説を拝聴したとしても「なるほど・・」というわけにはいかない。あなたはドラえもんのタイムマシンという後出しじゃんけんをしているのだから。見たものをなかったことにはできない。

そこで知人に相談すると「そういうやつをまともに相手にするのはバカバカしいので、スクリーンショットを撮っておけ」とアドバイスされた。2020年になってから出せと。

ちなみに、のび太のタイムマシンはたんなる作り話だけど、昨日、似たような感じのことがあった。ある若い経済学者のツイートを読んでいて「これはいくらなんでもひどいな」と思ったのである。「日本が財政破綻するというのは悪質なデマだ」という主張で、スクリーンショットをとっていたおほうがいいレベルの議論だったが、結局とらなかった。

撮ろうとしても撮れなかった。どうにも指が動かない。どういう感じかというと、そうだな。。。「イヤな気分になることをしたくない」という感じかな。

指がいやがるというのは、なかなかおもしろい体験だったので、このイヤな感じの正体をもうすこし分析してみよう。この感じはどこからきているのだろうか。たぶん・・なにかが溜まりそうでイヤなのだ。お金がたまるのなら大歓迎だけど、イヤなものが溜まりそうでイヤだ。

スクリーンショットをとって、来年「それみたことか?」と勝ち誇っても意味がないという気がする。たとえ撮っても2020年がくれば「まあ済んだことだから仕方がない」とぼくは水に流してしまうだろう。そういう自分を想像できる。イイ人ぶるつもりはないけど、イヤな気分を背負ってまで人を追い回したくない。めんどくさい。

しかし、いまスクショをとったら、未来の自分に「イヤな気分」というバトンを渡すような気がして、きもちがわるい。スクショを来年まで持ち続けるというのは、不快感を来年まで持ち越すのと変わりない。言いかえれば、「じぶんは 未来までうらみをもちこす人間だ」というセルフイメージで自分を呪縛してしまうような感じがして気持ちが悪い。

スクショを撮ると、そういう重たいものが心にかぶさってきそうな感じがしてイヤだった。ちょっと長くなったけどくわしく分析するとそういう感じである。

ぼくは日頃イヤなことをなるべくやらないようにして生きている。そうするとイヤなことセンサーが敏感になって、ますますイヤなことをやらなくなる。スクリーンショット1枚でもイヤだと思ったら撮れない。

ちなみに、「スクショをとっておけ」と言ってくれた知人はとてもさっぱりした人なので、何百枚スクショを撮ってもさっぱりとしたままでいられるだろう。ぼくはちょっとむりだな。とにかく、気分よく生きたいのである。それが一番だ。ストレスフリーでいきたい。

ただしネット犯罪の被害に合ったばあいは撮ったほうがいいし、ぼくも撮ると思います。

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