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最近、うれしかった2つのこと

見る人が見れば

ゴッホの生前に売れた絵はわずか1枚だそうで、不遇の天才のように言われているが、実際はそうでもなかったらしい。

ウィキペディアによれば、生前から高く評価する人はいたそうだ。あと10年も長生きすれば名声をほしいままにしていただろうが、ただし死因もピストル自殺らしいので、生前に名声を得られなかったのは不遇というより仕方のないことだったという気がする。

死後、尾ひれ羽ひれがついて世界的な名声を得たのは事実だとしても、見る人が見れば、生前から彼の絵が非凡なのは明らかだったのだろう。

「見る人が見れば」というのは、一般人は別にしても、美術評論家とか美術愛好家などと自称している人々は、最初からゴッホの才能を感じ取れなければおかしいということである。

いいかえれば、生前のゴッホを評価していなかったくせに、死後、手のひらを返したように持ち上げたりする自称美術マニアは、

ニセモノ

だということでもある。

映画に関する憂鬱(ゆううつ)

話を映画にうつそう。

ぼくはだれもほめなくても個人的に高く評価している映画がいくつかあって、生前のゴッホの絵みたいなものでに、世間には注目されていないけど勝手にほめちぎっている。

一方で、世間が高く評価しているわりには、それほどでもないと思っている作品もある。

ゴッホの場合はやがて評価が上がったけど、ぼくが好きな映画はいまのところ世間の評価は上がってこず、ほめてくれる味方も現れないので、孤軍奮闘している。そこに味方が現れたのが、最近うれしかったことの1つだ。

たとえば、ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』(1992)。すでに記事を書いたので繰り返さないが、これまで見た映画の中で1番好きな作品だといえる。

あえて1番を決めることに意味はないにせよ、それくらいに評価しているということを言いたい。ぼくにとって『マルメロの陽光』がどエライ作品だということは、

どこからどう見てもまちがいない

と確信しているわけだが、それにしては他にほめている人を見たことがないし、noteを検索しても、軽くバカにしているような批評しかない。

自分がおかしいのではないか

これだけ軽視されていると、

自分の感覚がおかしいのではないだろうか

と心が折れそうになることもある。映画を見た感想というのはしょせん主観的なもので、数値化したり、客観的に立証することはできないので、もしかして自分がズレているだけじゃないのかと思ってしまいそうになる。

ドナルド・リチーさんがほめていたらしい

しかしどうやら映画評論家のドナルド・リチーさん(1924年 - 2013年)がほめていたらしい。これが1つめのうれしいことだ。

リチーさんは、スタジオジブリが出している小冊子『熱風』の2006年から2008年まで「映画のどこをどう読むかⅡ」という連載を持っていて、その5回目で『マルメロの陽光』をとりあげたそうだ。

ぼくは『熱風』をもっていないので、近いうちに国会図書館に確認に行く予定である。『熱風』が全巻そろっているのは国会図書館だけらしいので。

高畑勲と鈴木敏夫

なお、リチーさんがどういう人かというと、たいへんな人である。

彼には「映画のどこをどう読むか」(キネマ旬報社)という名著があるんだけど、この本をジブリの名プロデューサー鈴木敏夫氏は「ボロボロになるまで読んだ」といっている。高畑勲監督に勧められて読んだのだそうだ。

ぼくはこの本を読むまで、スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』という映画のおもしろさがわからなかった(中略)。目からうろこが落ちました。いまではいちばん好きな映画のひとつです。この本はボロボロになるくらい読みました。のちに、ジブリから復刻出版しています」

鈴木敏夫『仕事道楽 スタジオジブリの現場』

そういう流れでジブリが「映画のどこをどう読むかⅡ」という連載を依頼したらしいんだけど、その第5回が『マルメロの陽光』なのである。

さらにその連載の第1回が、どうやらタルコフスキー監督の『ストーカー』らしいのだ。

タルコフスキー好きは苦労する

ぼくはタルコフスキーも好きなんだけど、そのことで、これまで自称映画マニアたちからさんざんバカにされてきた。

昨年ある知人からも「『ストーカー』は出てくる俳優が汚くて、一部のマニアだけがよろこぶような映画」とネチネチと言いがかりをつけられた。その人は自称映画通でネットで映画批評もやっている。

なんであんなに絡まれたのかわからないけど、あとで考えてみるに(ここからは単なる想像です)、このnoteで以前『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画をそれほど評価していない、と書いたことがあって、あれにカチンときたのではないかと思っている。

推測に過ぎないけど、たぶん当たっている気がする。

さて、上記のシネマ通氏にはこの件以外にもたいへんに不快な思いをさせられているので遠慮せずに書かせてもらうけど『ニューシネマパラダイス』を

最高!

といっている自称映画通を数人知っているが、そろいもそろってセンスが悪い。みな「自分はイケている」と勘違いし、そういう自分に酔っているふしがある。

誤解されると困るのがだが、ふつうの映画ファンが『ニュー・シネマ・パラダイス』を好きなのは全然いい。いい作品だしね。ここではふつうのファンの話はしてないので、どうか怒らないでほしい。

映画批評を書くほど自分はイケていると思っているナルシストが『ストーカー』をけなしつつ、『ニューシネマパラダイス』に酔っている姿がイタいと言いたいのである。

これまでは孤立無援だったのでだまっているしかなかったが、高畑勲氏と鈴木敏夫氏が絶賛しているドナルドリチー氏が、「ストーカー」と「マルメロの陽光」を取り上げたと聞くと、がぜん勇気付けられる。

ドヤる

『ストーカー』は「マニアだけがよろこぶ作品」とさもわかったようなことを言っていた「自称映画マニア」の〇〇さんよ。

高畑勲がマニア向けの監督か??『火垂るの墓』がマニア向けか?

鈴木敏夫がマニアだけがよろこぶプロデューサーか??『ラピュタ』や『トトロ』がマニアだけがよろこぶ作品か?

鈴木敏夫がボロボロになるくらい読んだ『映画のどこをどう読むか』の続編第1回が『ストーカー』なんだよ。あんたは鈴木氏と高畑氏とリチー氏を前にして同じことがいえるのか?

自分が、映画のうわっつらしか見ていないということにいいかげん気づけよ。

・・ぼくにはめったに味方が現れないので、上記のような「ニセモノ氏」には言いたいことをいわれる。なので、こうして強力な味方が現れた場合は鬼の首を取ったようにドヤるのだ。

エリセの新作

ところで、ビクトル・エリセは『マルメロの陽光』以来30年沈黙していたが、ついに2023年「Cerrar los ojos」という新作を公開したそうだ。DeepLで翻訳してみたところ「目を閉じる」という意味なのだそうで、これが2つめのうれしいことである。たのしみだ。


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