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悲惨なニュースを「悲惨」という軸で捉えてはいけない

よく、メディアで消費される、というような言い方がされるでしょう。たとえば、「タレントさんが消費される」とか。

それがどういうことなのかというと、消耗品扱いされるということだと思うのである。消しゴムのようなものだ。

消しゴムは、使えば使うほどすり減って消えてしまうが、人や事件が消しゴムのような扱い方をされるときに「消費される」というのだろう。

世間で話題になればなるほどすり減っていき、最後には「跡形も残らない」。

たとえば、いまは知床観光船の事故がメディアで消費されている。3月4月には、ウクライナ侵攻が圧倒的に消費された。しかし、やがて跡形もなく消えていく。こういうのが消費である。

これを読んで「消費とはけしからん!人が死んでいるんだぞ!」という人いますか。そういう人は来年の5月にもいまと同じ思いでウクライナを語れるでしょうか。もし語れないとすれば、それはあなたがいまウクライナの悲惨さを「消費している」のである。

ぼくは戦争の悲惨さは語らないが、来年の今頃は、戦争についてもっと深く考えている自信がある。もっと深く理解し、歴史とつなげて考え、説得力あるわかりやすい言葉で語っているはずだ。いまははその力はないが、これからだ。

一方、3月4月にウクライナに正義の怒りを爆発させたような人は、景気が本格的に後退すれば、今度は岸田政権に怒り、日銀総裁に怒りはじめる。

社会のニュース、世界のニュースを「悲惨」という軸で考えるのは消費しているだけであり、それは間違ったことだと、今回のウクライナ報道でつくづく思い知らされた。

「悲惨だから忘れないようにしよう」というもちがうが、「悲惨だから忘れて楽しいことを考えよう」というのもちがう。

消費し、風化させないためには、悲惨という軸にとらわれてはいけない。同情するよりも考える。考え続けるためには問題意識が要る。

そういう深い問題意識をもって今回の戦争を見ている人たちは、決して「悲惨」という切り口からは語っていない。

太平洋戦争も同じである。

実家の近所の神社には、太平洋戦争の戦没者の巨大な慰霊碑が立っている。こんな田舎でこれだけの人が犠牲になったのかと圧倒されるが、愛媛県内だけでこういう慰霊碑、慰霊塔が合わせて267か所あるそうだ。

しかし、愛媛県護国神社のホームページ「神社だより」を見ると、こう書かれていた。

県内267基の慰霊碑が掲載されています。
その大部分が神社境内、〇〇公園内に建立されており、人が集まりやすい場所、地域、集落の中心などにあります。
しかし、同じように慰霊祭の斎行が困難になってきているのが現状で、主な原因は高齢化、困難な祭典費の捻出のようです。

神社だより(愛媛県護国神社)

自分の国で起こったあれだけ大きな戦争でも、70年以上たてばその痛みを知っている人たちは減り、風化していく。まして、遠い国で起こっている戦争のことで世間が騒ぐのはテレビが騒いでいる間だけだ。

ところで、いま僕がよくZOOMで交流している人たちのあいだでは、ウクライナのことも、アフガニスタンのことも、イスラム国のことも、シリアのことも毎月のように話題になる(ほんとうです)。

だからといってやさしいのではなく、みな考えている。

戦争には、人間の集合的な感情爆発のメカニズムがあり、それを解き明かさないかぎり、この先いろいろ大変だとわかっているので、ない知恵を絞ってあれこれと考えているのだ。

とはいえ、あらゆることを思い出し、考え続けるのはムリだ。たとえば、ぼくは東日本大震災のことは忘れてしまいやすい。

そのかわり、オウムついてはしつこい。このnoteではしょっちゅうオウムについて書いているし、いまも書いたし、来週も書くだろう。

地下鉄サリン事件が起こった時、ニュースを見ながら「悲惨だ、かわいそうだ」と感じ、オウムに怒りを覚えた人は1億人くらいいたはずだ。しかし、いまそのことを問題にするのは何人くらいいるのだろう。

風化させないためには、、悲惨だ、かわいそうだという以外の問題意識が必要なのだ。

ぼくがオウムにしつこいのは、超常現象を重視しているからである。現時点で、超常現象はざんねんながらカルト宗教が心の弱い人をだます道具になっている。

ぼくは、超常現象をなんとかカルトから切り離すことはできないかと何十年も考え続けているからしつこいのであり、明日も明後日も来週も来年もしつこいままである。

ただし、えらくはない。阪神淡路大震災のことも東日本大震災震災のこともほとんど思い出さないので、ほめられたことではない。

ただし、悲惨、悲惨と言ってもすべては消費されて消えてしまうので、せめて、自分の問題意識で食らいついている。

いま戦争に悲しみ、正義感で怒っている人。
あなたたちからみれば、ぼくは人でなしである。この戦争の悲惨さに怒っていないし、プーチンを悪魔視もしていない。

ただし、あなたたち正義の味方がこの戦争のことをすっかり忘れた後もしつこく考え続けるし、アフガニスタンのこともミャンマーのことも追い続ける。

そして、超常現象とカルト宗教については、先週も、今週も、そして来週も再来週もしつこく書いていく。

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