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文章の読みやすさついて

最近、人のnoteをよく読むようになった。

きっかけになったのは「女男のすすめ」という記事に「スキ」をしてくれた人が多かったことにある。あの記事はかなり思い切って書いたので、

バカも休み休み言えよ・・

てな感じで相手にされないと覚悟していた。

逆にいえば、あれにスキをしてくれる人は、アタマが柔らかいにちがいないので、そういう人が何を考え、何を感じているのかを知りたい気持ちが強い。

なので、かならず目を通すようにしているんだけど、実際に読んでみると、独自の視点や感性を持っている人が多く、

こういう考え方もあるのか・・・

と物の見方が広がるし、

世の中捨てたもんじゃない

と勇気付けられもするし、今にして思えば、あの記事は、

良い記事探知機

みたいなものだった。

読みやすい文章とは

なんでかわからないけど、あれにスキをしてくれた人は、読みやすい文章を書く人が多い。そして読みやすい文章を読んでいるうちに、どうしても頭をもたげてくる疑問があって、それは、

自分の文章はよみやすいのだろうか?

ということだ。これは、noteを書き始めて以来気していることなんだけど、他人の文章を読んでいるとさらに気になってくる。

ぼくは、読みやすい文章はじっくり味わう一方で、読みにくいものは、申し訳ないけど、飛ばし飛ばし読んでしまう。だれだって飛ばしよみされたくないだろう。ぼくも、ちゃんと読まれたいので読みやすくしたい。

最初のうちは

長いものが読みにくくて短いものが読みやすい

とに思っていたんだけど一概にそうともいえない。長くてもラクに読めるものもあれば、短くてもツラいときもある・・とはいえ、ある程度のコンパクトさは必要だ。

それから、読みやすいものは、考えがアタマにスーッと入ってくる。逆に、読みにくいものは、なかなか頭に入ってこないのだが、じつはその理由がよくわからない。

翻訳と似ているかも

このあたりは翻訳と似ているかもしれない。いい訳文は読まなくても字面を見ればわかるといわれており、ぼくもおよそわかる。

スッと頭に入ってこない訳文ってあるでしょう。なんどもいったりきたりしないとわからないやつ。あの手の訳文は、全体の流れが外国語のままなのである。

ぜんたいが自然な日本語の流れにおきかわっているものは、字面を眺めているだけでそれとわかる。似たことかもしれないが、日本人の書いたものでも、字面の段階でキツイと飛ばして読んでしまうんですよね。申し訳ないけど。

そうならないように、いまのところは、

・考えをすっきりさせ
・描写がくどくならないように
・なるべく短く
・ところどころ意表を突く

ざっと、このくらいのことに気をつけているだが、短くするのが大変だ。

個人的なこだわり

ほかにこだわっていることもあって、それは全体のリズムだ。ぼくはジャズが好きなので、文章全体の流れをジャズのアドリブを聴くようにチェックしている。

いいアドリブは、レロレロと延々続くかと思えば、意表をついてピタッと止まる・・止まると見せかけていきなり動き出す。そんな感じで、リズムに変化をつけたい。

それは書く楽しみでもあり、読む楽しみにもつながるはずだとおもっているので、今日も試行錯誤しつつやってます。

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