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老衰からまなぶこと

若い人から学ぶ

ぼくは、いよいよ50歳というあたりから、「若い人から学ぼう。女の人から学ぼう」ということをかなり意識するようになったし、口に出して言うようになった。

同級生などとしゃべっているときにも

ぼくらの年になったら若い人から学ぼう。そして女の人から学ぼう。

ということをよく言うようになったんだけど、相手も「そりゃあもっともだ。そのとおりだ」といちおうは言ってくれる。

しかし、表向き肯定してくれる人でも、よく見ていると、結局は自分のより年上の男性の書いた本ばかり読んでいるし、そういう人のアップした動画ばかりを見ている。

わざとやっているとは思えない。長年、男性のタテ社会で生きてきて、部活動にしろ、会社勤めにしろ、男性の先輩や上司と接する経験が圧倒的に多いので、自然に年上の男性のほうを見てしまう習慣なのだろう。

ぼくが口に出して言い始めたのは、そういのを見ているからであり、だからことさらに逆方向を意識している。同世代や上の世代が集まる場所に顔を出すたびに

今の若い人はこういうことを考えている

みたいな発言をくりかえすようになったので、内心「こいつウザい」と思いっている人もいるのではないか。そういう会話のながれの中で、

若い人に目を向けることも大事だし
老いた人に目を向けることも大事だ

というもっともな意見が出たこともある。それは正論なのだが、あえて重力に逆らう意味で、ことさらに若い人を見ようと思っている。

老いた人に目を向ける

でも、最近になって、「置いた人に目を向けることも大事だ」という意見には正論という以上の意味があると思えてきた。

ただし「老いた人」というのは、年上でバリバリやっているのことではない。孫正義氏もビルゲイツ氏も年上でバリバリやっているけど、そういう人ではないし、田原総一朗氏や、宮台真司氏や、佐藤優氏や、上野千鶴子氏やその他論客とよばれるような人々の多くはぼくの年上だし、テレビ好きな人なら、さんまさん、タモリさん、たけしさん、松本さん、みんな年上だが、そういう人をありがたがる習慣は若い頃から身についており、いまさら気にするまでもない。

そうではなくて、死にへむかって歩みはじめた人から学ぶことが多いという風に思い始めたということ。

2022年の9月に放送されたものだけど、とてもいい。

デンマークの首都コペンハーゲンから北へ50キロ。老人ホーム、ダウマスミネには認知症などを患う老人たちが暮らす。この施設で実践されている治療は「思いやり」。スキンシップや会話、アイコンタクトなど、薬に極力頼らない「ケアトリートメント」が中心だ。この施設にカメラを据え、個性あふれるダウマスミネの居住者たちと看護師たちの日常を記録。

余談だけど、「BS世界のドキュメンタリー」という番組自体がそもそも優れており、世界中のドキュメンタリー番組の中から選りすぐりのものを放送してくれるので、目が離せない。ぼくはNHKバンザイな人間ではないけど、こういう番組はなくなったら困る。

あたらしい人間観へ向けて

さて、上記の番組では、認知症ケアに対する独自の取り組みが描かれているのだが、この施設を独力で作りあげたのは若い女性なので、その意味では、若い女性に学ぶということになるんだけど、その前にそもそも死へ向かうお年寄りから学ばされた。

番組の中で何人もの方が亡くなるのだが、死期が近づくと自然と準備を始め、食事をとらなくなったりする。そうなったときに施設の介護士さんたちは

彼女は死への準備を始めたので、もう無理に食べさせるのはやめましょう。

という話し合いをもつのだが、この決断はかんたんではなく、「食べたくても食べられないのかもしれない」と食い下がる介護士もいるのだが、最終的には食事は目の前に置くだけになる。そして、食べさせる代わりに顔にクリームを塗ってあげるのだ。

死への準備に入る段階というのは、ペットを飼っている人なら経験があるのかもしれない。しかし、人間も同じらしくて、本人のカラダが自然に死を受け入れる準備に入っていくのである。そのあたりに、生命の神秘を感じる。

これまで、人間は餓死、病死、戦死といったものが圧倒的に多かったわけだが、これからは自然に死への準備に向かう人を目にすることも増えるのではないか。そして、そういうところから生命と人生についての新たな認識が開けていくような、そういう時代がやってきたのかもしれない。

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