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好きで「好き」になったわけじゃない

手塚治虫さんのエッセイの中にたしか、

うちの息子は僕のマンガにはあまり興味を示さず、ホラー映画みたいなものに夢中になっている。

みたいなことが書かれていた記憶がある。息子というのは手塚真さんのことだろう。実際、今ウィキペディアの「手塚真」のページを開いてみると、

幼児期には虫プロダクションが制作した『W3』よりも『ウルトラQ』を好み、主に妖怪物の漫画などを愛好した。

と書かれているのでぼくの記憶であっている。

ぼくも小学生の頃には『ブラックジャック』を『週刊少年チャンピオン』の連載で読んでいたし、『火の鳥』ももちろん読んでいるので、手塚治虫作品が優れているのはわかっているつもりだ。

そのうえで、優れている優れていないは別として、手塚治虫作品より妖怪や実写の『ウルトラQ』を好むという嗜好は、わりと理解できるのである。

『ウルトラQ』と手塚漫画ではそりゃあ手塚漫画のほうが優れているが、親しみを感じる・感じないということでは、ぼくは

アニメより実写

により親しみを感じるし、

明朗快活な作品よりおどろおどろしい作品

に親しみを感じてしまう。これはどうにもならない。

もちろん逆の人も多いだろう。実写よりアニメが好きな人はたくさんいるだろうし、おどろおどろしいのは苦手で明るい作品が好きな人も多いにちがいない。

作品のクオリティの問題ではなくて、あくまでそっちに惹かれてしまうという意味では、性的な嗜好みたいなものに近い。

総じていえば、ぼくは「ピュアなものよりもリアルなもの」を求めがちだと自分で思うし、これは女性の好みにも通じており、清純より妖艶を好む。アイドルよりカマキリ夫人なのである。

ディズニーランドよりお化け屋敷

さて、こういう好みを持つ人間としては当然ながら

ディズニーランドよりお化け屋敷

なわけである。これも好みなのだから仕方がない。

手塚治虫が偉大であるように、ディズニーランドが優れたテーマパークだということに異論はないのだが、ぼくは一度しか行ったことがない。行ってみて

1回で十分だな

と思ってしまった。むしろ、「うらぶれたお化け屋敷」や「蝋人形館」に惹かれる。

ホラー映画や怪談やオカルトや心霊ものが好きな人間って、しょせんこんなものなのだ。別に誇りに思ってはいないが、そうなんだから仕方がない。

ところで、怪談と言えば、浦安の海面埋め立てにまつわる怪談があるんだけど、ディズニーランドよりそっちのほうに惹かれる。

好きで「好き」になる人はいない

おなじく性的マイノリティは好きでマイノリティになっているのではない。

たとえば、レズビアンの女性は、好き好んで女性好きになったわけではないだろうが、しかし女性が好きなのだ。

ぼくも、好き好んでホラー好きになったわけではないのだが、ホラーが好きなのだ。

そして、レズビアンの女性が、性的マイノリティがイヤだからと言って、男好きに変わることはできないのと同じく、ぼくもディズニーランドよりホラー映画が好きになってしまった自分を誇りに思ってはいないが、だからといって

今日からディズニー好きになろう

と思っても無理なのである。このように「好み」とは、

好き好んで好んでいるわけではないにもかかわらず好んでいる

という実に困ったものだと思う。

ところで、世の中にはロリコン男性というのがいるが、あれこそ不幸以外のなにものでもない。ゲイもレズビアンも犯罪ではないが、ロリコンはれっきとした犯罪だ。

本人は好き好んでロリコンになったわけではないはずで、気づけば幼い女の子にしかコーフンしない体になっていたのだ。にもかかわらず、唾棄すべき存在とされ、東京都ではその根絶を目指している。

好きで根絶されたいヤツなどいない。。だからといって、

では、今日から大人の女性を好きになろう

などと思っても無理なのは、ぼくがディズニーランドを好きになろうと思っても無理なのと同じだ。キリスト教からイスラム教に改宗するような具合にはいかないのである。

ホラー好きは根絶されないので助かっているけど、ロリコンは根絶されるので、かなり気の毒な連中だ。

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