![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111371674/rectangle_large_type_2_8fe6485c8b335440c1f66c51ae19d565.jpeg?width=800)
他人の人物評はあてにならない
偉人のドキュメンタリー番組などでは、故人と親しかった人がたくさん出てきて
あの人はああいう人でした、こういう人でした・・
と人物評をやることが多い。
本人が生きてない以上、人となりを知るにはこういう方法を採るしかないのだが、証言者によって言うことは異なる。部下からは怖れられた経営者でも、家族からは
たいへん物静かで穏やかな人でした
みたいな言われ方をされることがある。どちらが間違っているということでもなく、部下の前では厳しく、家庭ではやさしい父親だったのだろう。
生きている人でも同じこと
これは生きている人でも同じことで、たとえばA先輩に会う前に、B先輩から
A君はちょっと気難しいところがあるよ
と聞いていた場合、ぼくはどうしても「気難しい」という色眼鏡で接してしまうのだが、あとで、かなりおおらかな人だとわかって後悔したことがある。
このように他人の人物評はあてにならないことが多い。しかし、どうしても耳に入ってくるので、知らず知らずにバイアスがかかってしまうのがむずかしいところだ。
有名人も同じことだろう。ちまたで「あの人はこういう人」みたいに言われていることも、実際に会ってみるとかなりちがっていたりするのだろう。
父親像の食い違い
ここからは私小説みたいな話になるので多少はずかしいのだが、認知症の父親とこの1か月接していて、1つ学んだことがある。それは、
ぼくの父親像は、母の父親像を下敷きにして出来上がっている
ということだ。
ぼくが彼と面と向き合うようになったのは、母が他界してからであり、それまではもっぱら母らからの愚痴を通じて彼の人となりをイメージしていた。かつては同じ家で暮らしいたのだが、それほど突っ込んだ話をしたことはなかった。
そして、面と向かって接するようになってからも、なにかあるたびに
ははあ、これは母が言っていたあのことだな・・
という風に解釈してしまうし、そこに無意識に母の不満や憎しみを加えて見てしまうのである。つまり色眼鏡がかかっていたということだ。
母の人物評
たとえば、母は「父が、大勢の人と接している場で、何も知らないくせに知ったかぶりして恥ずかしい」とよく言っていた。
1つ具体例を挙げてみよう。父は50代になってから片道1時間半くらいかけて長距離車通勤をやっていたことがあるのだが、そのころから下腹が出始めた。普通に考えれば、中年太りである。
しかし、本人は「クルマの振動で腹が出た」と言い張っていた。これは、直接本人に聞いた話ではなくて、母からの伝聞情報である。
こういうとんちんかんなことを人まえでべらべらしゃべるので、聞いていて恥ずかしくて仕方がないと母はこぼしていた。
現在の例
ぼくがじかに接するようになってからもこういうことは多々あるので、今起こっている例をあげてみよう。
毎朝、介護スタッフが訪問してきて、血圧や体温計を測ってくれるのだが、父は右耳が悪い。なので体温計のピピっという音が聞こえず、スタッフに「体温計が鳴りましたよ」うながされて
えっ・・いつ鳴った?
と聞きかえし、それから右耳が悪い言い訳を始めるのである。彼によれば、
子どもの頃、右手ばかり使って草刈りをしていたので、右耳が悪い
のだそうだ。この話を毎朝繰り返すのだが、スタッフは最初のころ、
なにをいっているのわかわりません(汗)
と困っていた。
そこでぼくはこう答える
右耳が悪いのは工場の騒音が原因だと思います。30年くらい前に耳鼻科にいろいろ見てもらったし、補聴器も作ったのですが、本人は忘れているみたいですね
と。そうすると納得してくれるのだが、ぼくはこういうわけのわからないことを毎日言っている存在が自分の父親だということが、当初は恥ずかしくて、聞いていられなかった。
そして「人前でとんちんかんなことをべらべらしゃべるので、聞いていられない」と言っていた母の人物評を思い出して、なるほどと思っていた。
スタッフの対応が変わった
しかし、介護スタッフの対応はやがて変わりはじめた。この1か月顕著に感じるのだが、スタッフの大半は、彼のとんちんかんな話を
天然でおもしろい
というふうに、笑って聞くようになっている。
子どもの頃、右手ばかり使ったので右耳がおかしい
と毎日真剣に言い続けるじじいはおもしろいらしい。なるほど。そういわれれば、そういう見方ができないものでもない。
と、そこまでいって、ようやくぼく自身の「恥ずかしい」が母の「恥ずかしい」からの刷り込みだったことに気づいたわけである。
それほど簡単な話ではない
ならば、母の「恥ずかしい」がまちがっているかというと、そういうわけでもない。
介護スタッフはウチを訪問し始めてまだ10か月程度だが、母は40年も一緒に暮らしていた。その間、彼のとんちんかんな決断は、ときにおもしろいでは済まない経済的な影響を家族に及ぼした。
ぼく自身、若いころから「彼の判断の99%はまちがっている」と思っていたし、今もそう思っている。
そのうえで、介護スタッフは少しボケて丸くなった父しか知らないが、ぼくらは若いころの乱暴な姿も知っている。
そういう目で見ると、母でなくても彼のバカ話が「情けなく腹立たしい」という感じるのは自然なことで、おもしろい、などと気楽にいえないのも確かなのである。
今は今でしかない
しかし、今の彼は今の彼でしかないこともまた事実であり、昔の彼を知らない人が、今の彼だけを見れば、
こっけいでおもしろいジジイ
だと感じるのも自然なことである。
冒頭で紹介した偉人の人物評と同じことで、「情けなくて腹立たしい」と感じるのも、「こっけいでおもしろい」と感じるのも、見方次第であって、どちらが正しくて、どちらがまちがっているということでもない。
自分はどうなのか
ならばぼく自身はどうなのかというと、母のように40年も情けない思いをさせられたわけではない。かといって昨日今日、ボケた父に出逢ったわけでもない。なので、その中間あたりが妥当な線なのだろう。
情けなくて腹立たしいと感じる面もあるけれども、介護スタッフといっしょに笑ってしまってもいい場面もあるはずだ。しかしこれまでは
情けなくて腹立たしい
としか感じていなかったわけで、これは母の感じ方に知らず知らずに支配されていたのだといえるかもしれない。
だが、今では介護スタッフにならって
こっけいでおもしろい
と感じることもできるようになった。母の感じ方は尊重するけれども、ぼくはまだ生きており、状況は刻々と変わっていくので「こっけいでおもしろい」と感じる自分も受け入れてやろう、と思い始めた。
このように「肉親の人物評」というのは、長い時間をかけて、さまざまな葛藤を伴いつつ、ゆっくりと変化していくのだということを、いま学びつつある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?