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人は勝つことで自分を肯定したい

昨年の「トランプ v.s. 反トランプ」、それから「ワクチン v.s. 反ワクチン」の戦いをみていてつくづく思い知らされたんだけど、戦いに憎しみが加わるのがもっかのところ人類の一番の問題ですね。

・・なんつってエラそうに書いちゃっているけどぼくも超ド庶民なんですけども。

もちろん上記の戦いには人の命や生活ががかかっているのでヒートアップしてしまいやすいのはわかる。それに、だれでも負けるよりは勝ちたいものだ。なぜ人が勝ち負けにこだわるかというと、たぶん負けると自分が否定されたように感じるからだ。そして、自分を否定されたと感じた人は相手に恨みを抱く。これがもっかのところ、アータがた人類の一番の問題点ザ―マす。

しかし、憎しみによる戦いに勝者はいない。全員の負けである。

そもそも「トランプ v.s. 反トランプ」も「ワクチン v.s. 反ワクチン」も勝つために戦っているのではなく、よりよい社会や未来のために最善の策を話し合っているはずだ。

というわけで以下、勝ち負けではなく、よりよい社会や未来のために申し上げているとおもってください。「トランプ v.s. 反トランプ」も「ワクチン v.s. 反ワクチン」もまだぜんぜん終わっていない可能性が高い。

こういうふうに言うと、トランプ派や反ワクチン派の人がかっさいをあげるかもしれない。逆に「決着がついていることを蒸し返すな」とイラッとする人もいるかもしれないが、ぼくが言いたいのは「だからそういうことじゃないでしょ」ということなのである。ここで自分が肯定されたと感じたり、自分が否定されたと感じたりするから、争いが終わらないのである。どうか憎しみは抜きにしてほしい。

勝ち負けではなく、自己肯定でも自己否定でもなく、よりよい方向へむかうための意見を交換しましょう。ぼくだってこのままアメリカ中心の世界秩序が維持され、ワクチンの追加接種で感染が収束すればどんなにいいだろうとおもう。そうなれば昔の平和な世界がもどってくる。栄光よもう一度だ。そうなれば毎日小説を読んで、映画を観て、ゲームをして暮らせる。noteにこんなことを書かなくてもよくなる。アアどんないいいだろう。ぼくは勝ち負けを争うのはイヤなのだ。

どうか一つの意見として参考程度に冷静に受けとってください。人類には電波がなぜ飛ぶのかすらわかっていないのだから、なんでもかんでもすでに「科学」で証明されているなどと高をくくらず、謙虚な姿勢で現状を見極めましょう。

「トランプ vs 反トランプ」「ワクチン vs 反ワクチン」も、冷静に話し合えるかぎりはどちらの側に立ってもいい。しかし相手を憎むならどちらの側に立ってもよくないのである。よくないのはワクチンでも反ワクチンでもなくて、相手を憎むことだ。でも冷静に考えてみるとどっちにころんでもあなたが否定されるわけじゃないんです。だから憎しまなくてもチョーOKっす。そういう感じで行きましょうよ。

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