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裸でウロウロしたら、誰でもおもしろい

マジックミラーに向かって

SNSをやっている人は、日本国内で8000万人くらいいるそうだ。
ネットに触っている人が1億人らしいので、およそ8割ということになる。

いまこれを読んでいる人の99.9%がこの8割の人々に入っていると思われるので、その全員に向かって聞くけど、そもそもSNSで発信することって

見えない相手へ向けて何か言う

ということですよね。ちがうかなあ?
「SNSとは?」みたいなことをいうといろんな定義の仕方があると思うけど、少なくともやっているひとは全員、自分は

顔の見えない相手に向かって何かを言っている

という感触はあるんじゃないだろうか。マジックミラーに向かって話しかけている感じ?

わかりきったこと

これは、劇場やライブハウスみたいなところとは違う。そういうところなら相手の顔が見えるし、ライブな反応もわかるけど、そうじゃない相手に向かってなにかを言うのがSNSだ。

もちろん、こういう媒体は昔から色々ある。たとえば本。そして新聞、雑誌。さらにラジオ、テレビ。こういうものに関わっている人たちは、ネットが生まれる何十年も前から

マジックミラーに向けて何か言う

のを仕事にしてきた。そういった業界は、俗にマスメディアなどと言われる。それを今は

8000万人

がやっているということで、つまり、ぼくのような一般人もやるようになっているのである(本機はただいま、「わかり切ったこと」の上空を飛んでおります)。

その8000万人の素朴な感想として

マジックミラーに向かって何か言うって独特な感じがあるよね~

という感想を共有したいだけだ。

いきなりボクシングに例えるけど

相手に触れようと思ったら、パンチを出さないといけない。

テレビやラジオを受信するだけなら、自分はガードを固めて相手のパンチを待っていればいいけど、こちらから発信して相手に触れようと思ったらパンチを出さないといけないわけで、そしてパンチを出すとガードが開く。打ったら打ち返されるのである。

かつてはそういう勝負をプロだけがやっていたのだが、今では8000万人がリングに上がるようになった。

ここで検索

ここで「プロ アマ 境目」などというワードで検索してみたところ、たくさんのブログ記事がヒットした。ただし、その多くが2017~2020年あたりまでにアップされているので、おそらくYouTubeが普及していたころの問題意識だったのだろう。

その後、パンデミックがあり、戦争が起こり、そして生成AIが出てきて、また違う地平が見えているので、ぼくのこの議論に5年くらい乗り遅れていることになる。

ためしに記事を5つくらい読んでみたんだけど、みなさん理路整然と的確な議論をなさっている。それは有名人から一般人のブログまで同じなのだが、さらに

わかりきった結論に着地している

のも同じだった。いろいろ理路整然と考えを展開した後で、

もともとプロとアマの線引きなど恣意的なモノなのだ・・とか
実力だけがモノを言うのは昔も今も変わらないのだ・・とか
「プロ中のプロ」とアマに食われるプロに2極化していくだろう・・とか

わかりきりまくっている結論

に全員が着地しており、へんなことをやおもしろいことを言っている人がひとりもおらず、数学の証明問題に先生が〇をつけるような答えしかなかった。

とはいえ、「問題意識が5年遅れているヤツ」から、”おもしろくない”などとは言われたくないだろう。しかし歴史は繰り返すのであれば、最新の議論でもおよそ似たような様子なのだろうと想像はつく。

ノーガード戦法

さて、ぼくが、8000万人の一人としてどういう気分でやっているかというと、基本的に矢吹ジョーの

ノーガード戦法

でやっている。「ガードが開く/開かない」というレベルではなく、ダラーっと両腕を垂らしてやっている。

ガードを固めると、わかりきりまくっている結論しか出てこないので、ついこういう感じになってしまうのだが、たとえていうならマジックミラーの前で服を脱いでいる感じに近い。

矢吹ジョーのノーガード戦法は「戦法」というより、心意気である。辰吉丈一郎選手もたまにやっていたけど、そのほうがおもしろくなるからやっていただけであり、また、そういうことをやらないと気のすまない性格だったのだろう。

ぼく自身が、他人のSNSを読んでいても、

この人ノーガードだな・・

と思うとがぜんおもしろく感じる。どんな人でも裸でウロウロしたらおもしろいのである。

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